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Rockin' In The Free World



カテゴリ:[ エンターテイメント ]


32件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[33] Tedeschi Trucks Band

投稿者: もっちですー 投稿日:2016年 4月 4日(月)08時27分9秒 42-151-53-216.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

4月1日

武道館。たった1回の東京公演。
客は七割の入り。やや寂しい感じもしたけど、演奏は文句なしだった。
デレクのギターはSG1本でいつもの通り最高のテクニックを披露してくれた。
デレクのギターに匹敵するくらい素晴らしかったのがスーザンのヴォーカルだった。
ボニーレイットの背中が見える位置まで来ている。アンコールまで枯れることなく、
艶やかな声だった。

久しぶりの70年代的コンサートだった。

https://www.youtube.com/watch?v=iBwrGmNGnzk




[32] Comes a Time

投稿者: オビン 投稿日:2016年 2月26日(金)18時25分26秒 p4828012-ipngn27101marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

78年の『Comes a Time』には最も穏やかなニール・ヤング
の姿が映し出されている。それはまるで春に吹く風のように
凍て付いた心を溶かし、人々を町並みへと連れ戻すかのよう。
なかには「モーターサイクル・ママ」のようなエレクトリッ
ク・ブルーズもあるけれど、その他の全曲がアクースティッ
クな質感で聞き手を包み込んでいく。もう思いっきりコート
を脱ぎ捨て、遠くの町にいる友だちへと手を差し伸べたいく
らいだ。翌79年には『Rust Never Sleeps』でジョニー・ロ
ットンの物語は終わらないとパンク~ニューウェイブ宣言を
するヤングだけに、当時まだ20歳前後だった私は混乱するば
かりだったが、それでも私はやがて学んだ。それは静と動の
対比のこと。優しさと怒りという振れ幅のこと。さらに重要
なことは、たとえ晴れた日であっても、たとえ雨が降った日
であっても、己の心に従うことだった。



[31] Re: エンタくんに

投稿者: osamu 投稿日:2016年 2月26日(金)07時12分48秒 fp76f16411.stmb205.ap.nuro.jp  通報   返信・引用 > No.30[元記事へ]

長く、年を重ねていくと
ほんとうに多くの友人、知人、
そして憧れだったり、
敬愛していた人々を見送るばかりになりますね。

もちろん、いつかは自分自身も、
きっと誰かに見送られるのでしょうが・・・

それでも、まだ“生かされて”いる自分は
なんだ(で)ろう?と考えながら
新しい朝を迎えるんですよね。

この歳になって、
そんなことを考えるようになりました・・・
ちょっと、遅いですね~笑。





[30] エンタくんに

投稿者: オビン 投稿日:2016年 2月25日(木)23時53分17秒 p3115-ipngn2401marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

エンタくんと知り合ったのは確か5年ほど前、三鷹のバイユ
ーゲイトでザディコキックスを観ていた時だった。終演後彼
のほうから「小尾さんですよね?以前ロス・ロボスのビルボ
ードでお見かけしました」と声を掛けてくれたのだった。実
は以前にエンタくんがドラムを務めるロッキン・シューズを
ぼくは大井町のグルーヴァーズ・パラダイスで観ていて、「
一曲めがバッファローのFor What It's Worth(価値あるもの
のために)でしたね。カッコ良かったよ!」と感想を言った
ら、彼は照れながら「いやあ~、あれはシェールのヴァージ
ョンを参考にしました。でもよく覚えていてくれましたね!」
と答えてくれた。あの時の嬉しそうな笑顔が忘れられない。
その前にもスクイーズボックス・ナイトが赤坂のライブハウ
スであった時に会っていて、素直に身体ごと喜びを現すエン
タくんに好感を抱いた。三鷹での出会いから暫くして、彼が
故郷の山形に帰ったことを知った。せっかく出会ったばかり
だっただけに、それだけが心残りとなった。でも風の噂で彼
が地元で新たな仲間たちと再び演奏活動を始めたことを知り
温かい気持になった。そういえば彼は当時禁煙にマジで取り
組んでいて、ぼくは「浮かせたお金でまた新しいCDを買える
ね!」なんてツイッターで励ましたっけ。

そんなエンタくんが先日亡くなってしまった。末期の肝臓癌
だったという。享年42歳。先週末からぼくは盟友のハル宮沢
からそれを知り、その後タマシロ・マーケットのウッチーさ
んと池袋で会い詳細を聞いた。あまりに悲し過ぎる。ぼくな
んかよりずっと若い才能がこの世からまた一人消えてしまっ
た。彼はリヴォン・ヘルムとアル・ジャクソンとハワード・
グライムスを敬愛した人だった。エンタくん自身のドラムも
そんな偉人たちに倣った、シンプルながらもタメが深~いも
のだったと記憶している。そういえばぼくの誕生日にもメッ
セージをくれるなど、偏見なく人と接し、何気な気配りが出
来る人だった。

エンタくんが1月30日に書いたフェヴァリット・アルバムを
紹介させて頂きたい。それは次のものだった。ストーンズ
『メイン・ストリートのならず者』ビートルズ『ア・ハード
・デイズ・ナイト』ザ・バンドの『ブラウン・アルバム』
『ボビー・チャールズ』ドクター・ジョンの『ガンボ』リー
・ドーシーの『イエス・ウィ・キャン』リトル・フィートの
『ディキシー・チキン』ボブ・ディラン『血の轍』、そして
最後がニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシ
ュ』だった。まるで気負いがない、正直でまっすぐな選択。
きっとそれは彼の人柄なのだろう。だからこそ彼はみんなに
愛された。エンタくん、きみと一緒にもっとビールを飲みた
かった。一晩中ずっとバカっ話をしたかった。リヴォンが叩
くカウベルのマジックについて語り尽くしたかった。きっと
『大好きなアルバム』の選択は、彼が死に怯えながらも必死
になって書き留めたものだろう。それを思うと胸に突き刺さ
ってくるものはあまりに多い。エンタくん、ぼくは今きみが
大好きだった『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』を聞い
ているよ。今ちょうどA面最後の「朝が来るまで~Till the M
orning Comes」に差し掛かったところだよ。



[29] WAY OF LIFE

投稿者: オビン 投稿日:2016年 2月25日(木)12時15分8秒 p1235071-ipngn14401marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

ぼくがWay of Life(人生の選択)を巡って出入り禁止~お前
は二度とウチに来るな!を伝えたのは意外にもこれまでわず
か一人だけ。彼とは二度ほどSNSでモメた。まず一つめは数
年前の冬に山梨県が大雪で閉じ込められていた時の最高指令
官の動きについてだった。彼がはっきりと首相を揶揄したこ
とに対し、安倍ちゃんだって赤坂で鮨を食べる権利はあるだ
ろうとぼくが反論した。安倍首相なんてちっとも好きではな
いけど、皆で寄って集って批判することに違和を感じたまで
だった。最高の司令官なら現地で雪かきすれば?と戯画で伝
えるポスターに喝采を叫ぶ連中にも付和雷同的な不気味さを
感じた。二つめは「いいね!」のあり方に対する認識の違い
だった。自分が参加するわけでもないライブやイベントにや
たらいいね!しまくる彼の存在には当時から軽薄さを感じて
いたのでその旨を本人に伝えた。彼は応援という気持を込め
ているらしいが、ぼくの場合は(とくに日本人通しだと)
相手が期待してしまうぶん、無闇やたらにいいね!を押せな
いのだった。いや、本当に応援してるんだったら黙ってその
アーティストのライブに行くのが一番いいと思う。むしろぼ
くは行けないライブに「いいね!」してしまい激しく後悔し
たことがあるくらいだ。こればかりは感性の違いだろう。



[28] These Days

投稿者: オビン 投稿日:2016年 2月 8日(月)02時59分1秒 p1321094-ipngn14701marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

>もっち様、元店主様
バラカンが名盤片面でヒックスをかけてくれたみたいで救われます。モーリス・ホワイトは白いジャケットの
ライブを聞いて追悼しました(宇宙のファンタジー以降は聞いてません)このまえ藤田洋介さんのパラダイス
本舗に弦ちゃんを見に行った時、洋介さんがダグ・レガシーをかけていました。10日は池袋のフリーフロウ・
ランチでハニークッキーズを観る予定です。弦ちゃんは天才ですね!



[27] Re: 追悼:ダン・ヒックス

投稿者: 元店主 投稿日:2016年 2月 7日(日)21時56分12秒 stm4-p89.tcom.hi-ho.ne.jp  通報   返信・引用 > No.25[元記事へ]

最近毎週の様にミュージシャンの訃報ばかりで嫌になりますね。今日のバラカンの番組の名盤片面はDヒックスのラストトレインでした。モーリスホワイトもかけたし昨日のNHKではPカントナーを数曲かけてました。

小尾さん、それと今日はルイジアナ音楽DJのイベントの宣伝、DJの皆さんフルネームで紹介して店主リクエストのDレガシーをかけてくれましたよ!



[26] Re: 追悼:ダン・ヒックス

投稿者: もっちですー 投稿日:2016年 2月 7日(日)21時28分46秒 42-151-53-216.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用 > No.25[元記事へ]

またか、と嘆息ばかりの日々です。

今、調べたらLP3枚とCD数枚持ってました。
名盤「ラスト・トレイン」はよく聴きました。
「Striking it rich」の裏ジャケにはベン・シドランの言葉が。
74歳は若すぎる。

RIP Dan Hicks




> 残念なことにダン・ヒックスが6日亡くなってしまった。彼の
> オフィシャル・サイトで夫人が触れているので誤報ではない
> だろう。近年は病気がちでヤキモキさせられたが、またいつか
> 元気になってステージに戻ってくるものだと思っていただけに
> 惜しまれる。享年74歳。少年期をニューメキシコのサンタロー
> ザで過ごしたヒックスは当時からドラムスを叩いていたという
> が、やがてサンフランシスコに移住し、カレッジに通いながら
> 幾つかのアマチュア・バンドを転々とした。64年になるとサム
> ・リンデの代役としてザ・シャーラタンズに参加。これがプロ
> としての第一歩になった。このバンドにはのちにフレイミン・
> グルーヴィーズに加入するマイク・ウィルヘルムも一時在籍し
> ていたらしい。69年にバンドが解散するとヒックスはギターに
> コンバートして、ダン・ヒックス&ヒズ・ホット・リックスを
> 結成し、エピック・レーベルより『Original Recordings』でデ
> ビューした。その後はブルーサムへ移籍し、ライブ作の『Whe
> re The Money?』最高傑作とも言われる『Stricking It Rich』
> マリア・マルダーでおなじみとなった「ドーナツショップのウ
> ェイトレス」を収録した『Last Train To Hicksville』を続々と
> 73年までに発表し黄金期を築く。ホット・リックスが解散して
> からのヒックスは78年にワーナー・ブラザーズから『It Happe
> ned One Bite』を発表したが、以降長い沈黙が続いた。何でも
> アルコール依存症に陥り演奏活動もままならなかったと伝えら
> れている。それでも89年には初来日公演が実現したり、94年に
> はダン・ヒックス&ザ・アクースティック・ウォーリアーズと
> してライブ作『Shootin' Straight』をリリースするなど、健在
> ぶりが嬉しかった。しばらくの療養期間を経てヒックスが本格
> 的に音楽シーンに戻ってきたのは21世紀になって間もなくのこ
> とだった。トム・ウェイツやリッキー・リー・ジョーンズやブ
> ライアン・セッツアーなどヒックスをリスペクトするゲスト達
> に囲まれた00年の『Beatin' The Heat』が完全復活への花向け
> となった。メンバーこそ入れ替わっていたものの、そのアルバ
> ム同様にホット・リックスが再編された形で01年と05年には
> 久し振りのジャパン・ツアーも実現し、会場を大いに湧かせた。
> どこか人を喰ったユーモラスな出で立ちでジャンゴ・ラインハ
> ルトのような芳香溢れるジプシージャズとボブ・ウィルズばり
> のウェスタンスウィングを混ぜ合わせた音楽スタイルといい、
> 女性コーラス二人とヒックスとが互いに掛け合っていくスモー
> キーなヴォーカルといい、その音楽世界はどこまでも粋で軽妙
> 洒脱なスピリットに満たされていた。ロック音楽の周縁に位置
> しながらも世間の流行には流されず、一貫してオールドタイム
> な音楽指向を示し続けたこともヒックスらしく、ライ・クーダ
> ーやロニー・レインがそうであったように、筆者を含む多くの
> 聞き手たちを秘めやかに鼓舞し続けた。ずっとお茶目な人だっ
> っただけに追悼に涙は似合わない。自作のナンバーにデューク
> ・エリントンの「キャラヴァン」を即興で取り込みつつニヤニ
> ヤしていたヒックス。吊りズボンでまるで決まらないアクショ
> ンをして笑みを誘った彼。そんな姿を思い出しながら筆を置く
> ことにしよう。ダン・ヒックスさん、誰もあなたの代りにはな
> れません。
>

https://www.youtube.com/watch?v=iBwrGmNGnzk



[25] 追悼:ダン・ヒックス

投稿者: オビン 投稿日:2016年 2月 7日(日)20時13分1秒 p7238-ipngn4203marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

残念なことにダン・ヒックスが6日亡くなってしまった。彼の
オフィシャル・サイトで夫人が触れているので誤報ではない
だろう。近年は病気がちでヤキモキさせられたが、またいつか
元気になってステージに戻ってくるものだと思っていただけに
惜しまれる。享年74歳。少年期をニューメキシコのサンタロー
ザで過ごしたヒックスは当時からドラムスを叩いていたという
が、やがてサンフランシスコに移住し、カレッジに通いながら
幾つかのアマチュア・バンドを転々とした。64年になるとサム
・リンデの代役としてザ・シャーラタンズに参加。これがプロ
としての第一歩になった。このバンドにはのちにフレイミン・
グルーヴィーズに加入するマイク・ウィルヘルムも一時在籍し
ていたらしい。69年にバンドが解散するとヒックスはギターに
コンバートして、ダン・ヒックス&ヒズ・ホット・リックスを
結成し、エピック・レーベルより『Original Recordings』でデ
ビューした。その後はブルーサムへ移籍し、ライブ作の『Whe
re The Money?』最高傑作とも言われる『Stricking It Rich』
マリア・マルダーでおなじみとなった「ドーナツショップのウ
ェイトレス」を収録した『Last Train To Hicksville』を続々と
73年までに発表し黄金期を築く。ホット・リックスが解散して
からのヒックスは78年にワーナー・ブラザーズから『It Happe
ned One Bite』を発表したが、以降長い沈黙が続いた。何でも
アルコール依存症に陥り演奏活動もままならなかったと伝えら
れている。それでも89年には初来日公演が実現したり、94年に
はダン・ヒックス&ザ・アクースティック・ウォーリアーズと
してライブ作『Shootin' Straight』をリリースするなど、健在
ぶりが嬉しかった。しばらくの療養期間を経てヒックスが本格
的に音楽シーンに戻ってきたのは21世紀になって間もなくのこ
とだった。トム・ウェイツやリッキー・リー・ジョーンズやブ
ライアン・セッツアーなどヒックスをリスペクトするゲスト達
に囲まれた00年の『Beatin' The Heat』が完全復活への花向け
となった。メンバーこそ入れ替わっていたものの、そのアルバ
ム同様にホット・リックスが再編された形で01年と05年には
久し振りのジャパン・ツアーも実現し、会場を大いに湧かせた。
どこか人を喰ったユーモラスな出で立ちでジャンゴ・ラインハ
ルトのような芳香溢れるジプシージャズとボブ・ウィルズばり
のウェスタンスウィングを混ぜ合わせた音楽スタイルといい、
女性コーラス二人とヒックスとが互いに掛け合っていくスモー
キーなヴォーカルといい、その音楽世界はどこまでも粋で軽妙
洒脱なスピリットに満たされていた。ロック音楽の周縁に位置
しながらも世間の流行には流されず、一貫してオールドタイム
な音楽指向を示し続けたこともヒックスらしく、ライ・クーダ
ーやロニー・レインがそうであったように、筆者を含む多くの
聞き手たちを秘めやかに鼓舞し続けた。ずっとお茶目な人だっ
っただけに追悼に涙は似合わない。自作のナンバーにデューク
・エリントンの「キャラヴァン」を即興で取り込みつつニヤニ
ヤしていたヒックス。吊りズボンでまるで決まらないアクショ
ンをして笑みを誘った彼。そんな姿を思い出しながら筆を置く
ことにしよう。ダン・ヒックスさん、誰もあなたの代りにはな
れません。



[24] ロッドの新譜

投稿者: もっちですー 投稿日:2016年 1月31日(日)07時02分9秒 42-151-53-216.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

これいいいね~~!!

https://www.youtube.com/watch?v=iBwrGmNGnzk


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