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祭り発起人の一人の独り言

 投稿者:  投稿日:2012年10月19日(金)20時19分2秒
  通報 編集済
  私は、恐らく「創設グループ」さんが「提案」で触れていた「藤記君(ふじき君)」です。そのグループの実体は知りませんが、私も『’87 武蔵野はらっぱ祭り』(1987年11月22日、23日)を立ち上げた僅か数人の一人(私は形式的な初代代表者)であり、会場やその名称を考えることから始めました。初期のチラシでは「1年1組事務局」と名乗り、確かに『’85 国分寺 DE アンデパンダン』(1985年12月1日)の流れを汲むものとして、かつてのアンデパンダン仲間を中心に参加を呼びかけていました。「1年1組事務局」は「アンデパンダン」でも使われた名称で、その会場となった国分寺の『けやき公園』は当初の「会場」候補だった訳ですが、「はらっぱ祭り」の言い出しっぺによれば「(2年前のアンデパンダンの印象が悪く)使用を断られた」らしい。しかし、初めて『武蔵野はらっぱ祭り」を担ったメンバーに占めるアンデパンダン系は少なくはないが多くもないものでした。

1987年7月19日現在のスタッフは私を入れて6人に過ぎなかったが、無謀にも当初の祭り開催を10月10日、11日としていた。それまでに会場は「武蔵野(自然)公園」に内部決定していたが(教委後援は10月26日付で、正式な公園使用許可はその後に下りた)、「くじら山を紹介したのは・・・さん」ではない。私の記憶では今もはらっぱ祭りのスタッフをしている人だったと思う。
ところで、その7月の「スタッフ募集」チラシで謳ったテーマは『公園より、「ひろば」を、ただのはらっぱを』であり、そのキーワードは『はらっぱ、まつり、ひろば』でした。「その日の具体的内容案」として「芝居、舞踏、コンサート、アート展示、バザー、映画上映、ミニFM局、シンポジウム、夜の花火大会、仮装パレード、野外キャンプ教室、屋台、等々の何か面白い事たくさん」を挙げていた。
「アンデパンダンとは 自律不頼の表現者たち」──これは『’85 国分寺 DE アンデパンダン』のチラシ文句だが、自立でなく「自律」、普通は無頼だが「不頼」となる。チラシの冒頭は「この街には いろんな人がいて いろんなことを やっている。精一杯 自分のことを みんなのことを 語り合いながら。でも それに 気がつかなくなってしまった時 ’85 国分寺 DE アンデパンダン しよう !!」とあり、「楽しく つくっていけるのは あなた自身です !!・・・自分のやりたいこと ここで いっちょう やってみようよ!」と続けていた。
この二つの祭りの共通項は、野外での表現であり、人々との交流だった。それは現体制や形式・様式に囚われないものとしての自発自立的な行動であり、野外活動(交通・交流の場)という限りにおいて「自然」との共生がテーマと成り得る、それ自体は「原っぱ」とは関わりないものであった。そうして、違いは、まさにその「原っぱ」を祭りの会場として選択したところから始まった。そこでは又新たな「出会いがあった」し、結果的に「原っぱを残そう」という指向性も生まれた。

私はすでに十数年前の「言い出しっぺ」グループの造反劇後、はらっぱ祭りの主流スタッフから離れているが、祭りの準備や片付けに参加したりその後呼び戻されたり文化祭を企画したりで、決して絶縁したことはない。昔は造反されたぐらい煙たい存在だったろうが、「創設グループ」さんが言う「はらっぱにとっては天皇陛下みたいな大切にしなければいけない人物です」はあまりに酷い言い方である。昔私を「ヒトラーみたいな独裁者」と罵ったスタッフがいたが、それよりも酷い慇懃無礼だ。その人は「祭りは皆でつくるものだ」が口癖で私を非難していたが、確かに祭りでは「感謝」される存在などあってはならないと思う。
それにしても、惨めにも「人生をはらっぱにささげてしまったような人」と私を偽り、私「が抜けたこと」を確かめもせず承諾もなく取り上げて「はらっぱの歴史は今年で最後にしませんか?」などの口実にする卑劣はやめましょう。ましてや、個人の見解ならともかく、「複数の最初のころはらっぱをゼロから作りあげたメンバーの共通の願いです。」として、初期のメンバーを貶めるのは頂けません。それよりも、「創設グループ」さんが祭りのミーティングに来て説明したり、なおかつ一緒に祭りを「創り直し」たら良いでしょう。善意と力量さえあれば「おわりに」することもできますが、悪意でもない限り「外」からは何を言っても何の進展も望めません。
「新しい人たちがはらっぱ祭りのネームバリューに胡坐を」かいているような受け止め方ですが、アンデパンダンからのメンバーや初期からのスタッフもいるし、私も祭り発起人の一人として最後(?)まで多少なりとも付き合って行くつもりです。

現在のはらっぱ祭りは確かに昔の「はらっぱ祭り」ではないと私も思っているし、それが不満でもある。しかし「創設グループ」さんなら分かるだろうが、「昔のはらっぱ祭り」の第一回目は、継続を前提とした祭りではなかった。そこで皆燃え尽きる筈だった。しかし続けてしまったその責任は「創設グループ」さんや私たちにある。続ける限り、「1回で燃え尽きようとした」と同じ気持ちを維持するには、「伝統の祭り」とは根本的に違い、常に変化し続けなければならない宿命を負う。無論「まったく別のもの」と言う限り、本質的な問題なのだろう。それを「正式な世代交代が出来なかったのは残念」「今は原点は継承されなかった事が非常に残念」と嘆く前に、今からでも遅くない、先ず「原点」を示すべきだろう。ましてや「名前を変えてゼロからあなたたちオリジナルの祭りを作ること」を「提案」することは、「創設グループ」自らの無能さを告白する以外の何者でもない。

祭りを創るのは「人」である。形式的な「伝統」を守るお祭りでもない限り、それを支える「人」たちが変われば祭りも変わる。しかしまた、変わらぬものもある。否、変わってはならぬもの、それが「はらっぱ祭り」を「はらっぱ祭り」たらしめている「原点」なのだろう。その「原点」も、恐らく人によって違うかも知れないが、だからこそ、「はらっぱ祭りは原点を大事にしてき」たその「原点」を個々人が確認し合う必要があり、特に「創設グループ」さんこそがそれを明らかにしかつ伝え続けることが「大事」なのだ。しかし、「この書き込みを最後に僕らは掲示板を見ません」という無責任さに何らの説得力もない。「新しいゼロからの祭りを作る」ことを勧める人が何故「あのくじら山(に作ってください。)」となるのか非常に理解に苦しむが、「耳が痛い書き込み」と思い込む「ものもの」しさもまた笑止ではある。「創設グループ」さんこそが、かつて誰かもしようとしたように、全く新しい祭りを別の場所で創るべきだろう。
私はその「ご活躍応援いたします。」
「ではがんばってください。」
 
 
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