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【第10章】3 第1段切り(3) 旧稿再掲:「独占」と「社会化」

 投稿者:*鬼薔薇  投稿日:2007年 3月25日(日)00時30分43秒
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  前々回、「独占の四つの主要姿態」に触れて“第1章からの全叙述を貫く「社会化」という視軸をここで再確認しておくべきところ”と注記し、前回にはアンチョコ本から、原田教授のも同部分に関連するコメントをご紹介し、2年半前の第7章レポートから関連部分を引いたところですが、読書会の初めの頃、第1、2章をレポートしていたときにもこの点をメモしておりました。旧稿再掲が続きますが、問題の重要性にかんがみて敢えて過去ログからそのメモを。
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「社会化」「なにものかへの過渡」:検討素材 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 〔2003年〕9月16日(火)21時25分53秒

「国家独占」に触れてのTAMO2さんとの意見交換は、「国家独占」の是非というより、『帝国主義論』が繰り返し問題視している「社会化」、そして「なにものかへの過渡」に関わっているというのがわたしの理解でございます。そこでまず検討素材として、テキスト本文、「序文」ならびに同時期の他文献から関係部分を抜書きしてみましょう。

1 本文から

●第1章
「競争は独占に転化する。こうして生産の社会化がいちぢるしく前進する。とくに、技術上の発明と改善の過程が社会化される」(岩p.43/国p.33)。

「資本はその帝国主義段階で、生産のもっとも全面的な社会化にぴったり接近する。それは、資本家たちを、その意志と意識とに反して、競争の完全な自由から完全な社会化への過渡の、ある新しい社会秩序へ、いわば引きずりこむ」(岩p.43/国p.33)。

「商品生産が従来どおり『支配』しており、それは経済全体の基礎と考えられているとはいえ、実際にはそれはすでにそこなわれ、主要な利潤は金融的術策の『天才』の手に帰するような状態まで、資本主義の発展はすすんだ、と。これらの術策と詐欺の基礎には生産の社会化がある。しかしこのような社会化までこぎつけた人類の巨大な進歩が、……投機者を利することとなっているのである」(岩p.45/国p.35)。

●第2章
「古い資本主義、自分にとって無条件に必要な調節器である取引所をもつ自由競争の資本主義は、過去のものとなりつつある。それにかわって、なにか過渡的なもの、自由競争と独占との混合物とでもいうものの明白な特徴をもつ、新しい資本主義が到来した。そこで当然、この最新の資本主義は*なにへ*『移行』しつつあるかという問題がおこるのだが、この問題を提起することをブルジョア学者たちは恐れているのである」(岩p.67/国p.52)。

「シュルツェ−ゲーヴェルニッツのこの告白はまたしても、最新の資本主義、帝国主義段階の資本主義が、なにへの過渡であるかという問題に通じる」(同)

「古い資本主義は寿命がつきた。新しい資本主義はなにものかへの過渡である」(岩p.75/国p.59)。

2 序文から

〔序文〕
「帝国主義は社会主義革命の前夜である」(岩p.12/国p.8)。

〔フランス語版およびドイツ語版への序文〕
「帝国主義は、プロレタリアートの社会革命の前夜である」(岩p.23/国p.17)。

3 他文献から

〔帝国主義と社会主義の分裂〕(1916年10月)
「資本主義*から*生じる独占は、*すでに*資本主義の死滅であり、資本主義から社会主義への移行の始まりである。帝国主義による労働の大がかりな*社会化*(弁護論者のブルジョア経済学者が『絡みあい』と呼んでいるもの)も、やはりこのことを意味する」(研究所訳『レーニン選集』第6冊、p.174)。

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「社会化」「なにものかへの過渡」:論点提起 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 9月16日(火)21時26分54秒

革命勃発後に書かれた「序文」、権力を掌握した立場で書かれた「〔未刊に終った〕仏独語版序文」では“前夜”と言っているのに対し、『帝国主義論』と同年に執筆された「分裂」論文では、検閲への考慮は不要であるにも関わらずこの表現をとってはおりませんが、いずれにせよこれら一連の発言で「過渡」「移行」「前夜」と言われた認識が、ものごとの客観的な意味についての認識であることは明白でございましょう。言いかえれば、歴史における客観的な意味としてみれば「独占」は資本主義から「社会主義」への過渡であり、「帝国主義」はプロレタリア革命の前夜である、このレーニンの認識次元は明白と思います。

では、その主体的な要因は? 「独占」の中にどのような主体的要因が胚胎していると考えられるのでしょうか。TAMO2さんご関心の「ソ連社会主義」の問題もそこに関連していたはずですね。『帝国主義論』は、その点については何を語っている、あるいは語っていないのでしょうか。これまで読んできた範囲で関連しそうなところ、次の2点かと思われます。

●耐えがたい抑圧
「生産は社会的となるが、取得は依然として私的である。社会的生産手段は依然として少数の人々の私的所有である。形式的にみとめられる自由競争の一般的なわくは、依然として残っている。そして少数の独占者たちの残りの住民にたいする抑圧は、いままでの百倍も重く、身にこたえ、耐えがたいものとなる」(岩p.43/国p.33)。

これは、「被抑圧階級の貧困と窮乏が普通以上に激化する」という「革命情勢」の3つの主な兆候(『第二インターナショナルの崩壊』、国民文庫版、p.37)のひとつを基礎付けるものと申せましょう。しかしそれだけでは十分ではありません。社会化された生産を統制し管理する「革命的階級の能力」(同)が準備されねばなりません。その客観的な基礎が「独占」そのもののうちに見出されねば「前夜」とは申せぬ道理でございましょう。

●シュルツェ−ゲーヴェルニッツの“告白”
「三〇年まえには、自由に競争している企業家たちは、『労働者』の肉体労働の分野に属さない経済活動の十分の九を遂行していた。いまでは、*雇い人*がこの経済的精神労働の十分の九を遂行している。銀行業はこの発展で先頭を切っている」(岩p.65-6/国p.52)。

この引用に続けて「最新の資本主義、帝国主義段階の資本主義が、なにへの過渡であるかという問題に通じる」と書いたとき、レーニンの脳裏には、資本家抜きで経営を担える労働者という像が、さらには、かつてマルクスが思い描いた「肉体労働の鉄鎖からの解放」=労働者の全面的な能力の発達という未来像が、浮かんでいたようにわたしには思われます。

しかしこの“雇い人”層は実態としては、いわゆる「賃金労働者」から区別される「ホワイトカラー」層つまりサラリーマンですね。「サラリー」は労働者の「賃金」ではありません。工員に対する職員、吏員に対する雇員という階層分化の問題が、「革命的プロレタリアート」像を引き裂くようにここに現れます。それはまた、『帝国主義論』の後段で述べられる「買収」された「労働貴族」の問題とも交差いたしましょう。しかし現代は産業に占める製造業の比率が下がり、ホワイトカラー層は大半が「労働者」化しております。それはどのような可能性を孕んでいるのでしょうか。言い換えますとこの変化を、革命的階級の形成という課題のなかにどのように定位すべきなのでしょうか。

以上、とりあえずの論点提起とさせていただきます。
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