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【第10章】6 第2段切り(1) 金利生活者国家と資本主義の寄生性

 投稿者:*鬼薔薇  投稿日:2007年 5月27日(日)09時55分0秒
  通報 編集済
  身辺の雑事にかまけて大分サボってしまいましたが、解読を再開いたします。

第10章第2段切りは、次の記述から始まります。
「独占、寡頭制、自由への熱望にかわる支配への熱望、少数のもっとも富裕なあるいはもっとも強力な民族による、ますます多数の弱小民族の搾取――すべてこれらが、帝国主義を寄生的あるいは腐朽しつつある資本主義として特徴づけさせる帝国主義の諸特徴をうみだしたのである」(岩p.201/国p.161/濤p.204-5)。

以下、文庫本で3ページ足らずの記述は、内容的には第8章「寄生性と資本主義の腐朽化」を要約したものと読んでさしつかえないかと存じます。“自由への熱望にかわる支配への熱望”という表現は、ヒルファディング『金融資本論』から引いてきたものでしたが、この関係叙述全体はより多くイギリス人・ホブスンの著書『帝国主義論』に依拠していたこと、(ジュニアさんの代打で)第8章をレポートした折の記憶が残ります。そして後段では、「帝国主義と日和見主義との結びつき」(国p.203/)が導かれ、「帝国主義との闘争は、それが日和見主義にたいする闘争と不可分に結びついていないならば、一つの空疎で虚偽な空文句にすぎない」(岩p.203/国p.164/濤p.207)との厳しい指摘で結ばれ、最後の第三段切りへと移ることになります。

ここの解読で基本となるべき第8章「寄生性」の理解について原田三郎教授は、論文「『寄生性』についての若干の理論的問題」[*]で次のように述べておりました。

《八章の分析を正しく読みとるためには、それが本質的に経済的分析であることをしっかりと把握しておくことが是非とも必要である。……(中略)……この点を、私があえて強調するのは、八章の分析内容は一〜六章およびそれの総括としての七章の分析内容を直接踏まえて展開されているという、その関連に注意を促したいからである。八章が本質的に経済的分析であることをしっかりと把握せず、それの一〜七章の純経済的分析との関連を自覚的に認識しないことから、寄生性を帝国主義=独占資本主義の個々の特殊な局面――停滞・植民地支配・利子寄食においてのみ見る見解が生じ、そこからまた、寄生性は帝国主義=独占資本主義の一定の時期とか一定の国とかにあらわれ、他の時期とか他の国とかにはあらわれないと見る傾向が生じるように思われる。これは、寄生性の理論のたんに矮小化であるばかりでなく、間違った理解であるとさえ、私には考えられる》(『帝国主義論コメンタール』p.213-4)。

原田論文の眼目は、この「寄生性」の理論こそ“『帝国主義論』の要めをなすもの”というところにあり、そこに『資本論』と比較した『帝国主義論』の独自の理論的次元があるとの理解に立っているのですが、この点の検討は後に譲るとして、ここではとりあえず、第1〜7章が帝国主義の「経済構造分析」、対して第8章以下は「上部構造分析」という単純かつ俗流的な理解を斥けておいて、まずはテキストの論脈を押えてまいりましょう。

先の冒頭の文章に続いて、「金利生活者国家」、高利貸国家の形成という“帝国主義の諸傾向の一つ”が明瞭になることを指摘し、こうした諸国のブルジョア階級が、生産という実業よりも資本輸出と「利札切り」という虚業にますます多く傾くことを指摘いたします。それは「寄生性」の現象にほかなりません。
※「資本輸出」といってもこの時期にはまだ直接投資(生産の海外移転)よりも間接投資・証券投資が主流だったこと、1960年代後半からの「多国籍企業」の出現と対比して確認しておくべき点と思います(もっとも対外投資におけるこの「直接/間接」という用語法がかなり曖昧で不明確なものであること、わが国の国際金融統計の分類にもみられるところですが)。

素朴な理解に立てば、こうした資本主義の直接的生産過程からの乖離=「虚業化」の傾向は資本主義の急速な発展を排除すると考えられがちですが、レーニンはそうした考えを「誤り」だと退け、次のように述べます。

「個々の産業部門、ブルジョアジーの個々の層、個々の国は、帝国主義の時代には、程度の大小はあるにしても、これらの傾向のうちどれかをあらわしている。しかも全体としては、資本主義は、以前とは比較にならないほど急速に発展するのである。もっともこの発展は、一般にますます不均等となるばかりでなく、この不均等はとくに資本力のもっとも強い国々(たとえばイギリス)の腐朽化のうちにあらわれている」(岩p.201/国p.162/濤p.206)。

いわゆる「不均等発展の法則」といわれた問題ですが、ここで注目しておくべきは、「不均等」が単に個々の経済単位の発展度合いやそのサイクルのちがいとして並列的に捉えられるのではなく、「腐朽化」という傾向をともなう“急速な発展”のなかに生じる現象として把握されている点でしょう。これは、続く第2パラグラフで、イギリスを追撃するドイツの例を、またそのドイツに続いてより急速な経済発展をとげつつある新興国アメリカの例を、それぞれ示しているとおりでございます。

リーサーの銀行研究からの引用をもって示されるドイツの例に、興味深い指摘がされております。

「この異常に急速に成長した金融資本は、まさにそれがこれほどにも急速に成長したということのために、より富裕な国から――かならずしも平和的手段だけによらないで――うばわるべき植民地を、より『平穏』に領有するという方向に移ることをいとわないのである」(岩p.202/国p.162/濤p.206)。

第7章末尾の「帝国主義戦争不可避性」テーゼだけで『帝国主義論』を読んだ気になっている粗雑な頭脳には、容易に理解しがたい文言ではないでしょうか。平和の時代ではなく現実にヨーロッパ全体が戦争の嵐に叩き込まれているさなかに書き付けられた事情を勘案すればなおのことでございます。ここでわたしたちは、第5章「資本家団体のあいだでの世界の分割」と第6章「列強のあいだでの世界の分割」という世界分割のふたつの軸を想起すること、そして、「国際的カルテルによる世界の(経済的)分割がはじまっている。世界市場全体を支配し、『むつまじく』それを分け合っている」という“分裂”論文(『選集』第6分冊、p.173)の記述を、そして「平和」な事態が「帝国主義」の基本性格を変えるかのごとき理解こそ、カウツキーの所論にレーニンが見出した理論的・政治的傾向であったことを想起するように求められていると考えねばなりません。

ドイツに続くアメリカの記述は、これまた重大な指摘を含んでおります。

「共和国アメリカのブルジョアジーと君主国日本あるいはドイツのブルジョアジーとを比較すると、きわめて大きな政治的差違も、帝国主義の時代にははなはだしく減殺される、ということがわかる。だがこれは、政治的差違が一般に重要ではないからではなくて、すべてこれらのばあいには、寄生性の一定の特徴をそなえているブルジョアジーが問題となっているからである」(岩p.202/国p.162-3/濤p.206)。

第2パラグラフ末尾のこの叙述に、政治(体制)というものを基底的な規定性から相対化するレーニンの方法的視点を看て取ることができましょう。これは、「帝国主義」を制度や政策という(いわゆる「上部構造」)の次元において考える思考と対極のものでございます。政体の上でもっとも「民主的」なアメリカでその資本主義の寄生的特長は特に明白であり、政治的民主制が帝国主義の諸特徴を減殺するものでもなければその経済的本質をいささかも変えるものではないこと(言い換えれば、政治的民主主義をめぐる要求の是非を経済的規定から直に論じることもまた誤りであること)が、ここに紛れなく語られております。

実際、この方法こそ、『帝国主義論』と前後する時期に執筆された多くの諸論稿に貫かれたものにほかなりませんでした。なかでも、戦時下にともに左派を形成したポーランドやオランダの左翼社会主義者たちとの論争で「民族自決」を論じた諸論稿は、この点を直接に主題化しており、レーニンの「帝国主義」像を把握する上で欠くことのできぬ文献と思うのですが、各種訳書の巻末解説も、それをしっかり射程に入れているようには見えません。それはこの『帝国主義論』という著作を「経済学」の枠に閉じ込めて解釈してきた結果のようにわたしには思われます。

以上を確認して、“帝国主義と日和見主義との結びつき”を扱う次のパラグラフへ進みましょう。

[*] この論文(初出:『末永茂喜教授還暦記念論文集 経済学の方法』日本評論社、1968.5刊)は、『コメンタール』を底本にに全文テキスト化し、旧[作業室]分載しました。その後ひとつのファイルに整形し、著作権を配慮して「会員限定配布」に移したこと、現[作業室]にお示ししているとおりです。
 

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