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了解しました。

 投稿者:臨夏  投稿日:2005年 8月 2日(火)02時14分54秒
  どうも、板汚しですみませんでした(^^;  


拝見しておりますよ>臨夏さま

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 8月 2日(火)01時33分11秒
  ご心配なく(^^)。  
お得なプロバイダーとくとくBB

ええと、おそれいります

 投稿者:臨夏  投稿日:2005年 8月 2日(火)01時19分32秒
  鬼薔薇さま>
わたしの書き込みなど、わたし自身、価値があるとも思っておりませんので、レスは付けはらんでもご自由です。
「レスつけろ〜」というわけでもありません(^^;

しかし、下のふたつの書き込み↓

「痴者の感想のようですが(笑   投稿者: 臨夏  投稿日: 7月31日(日)22時57分55秒」
「高望みさんはそこで、   投稿者: 臨夏  投稿日: 7月30日(土)23時56分57秒」

に、なにも言及がないのは、「見落としはったか」と不安な気にもなりましたので、
あえて、またゴミ書き込みを致しました。
ご了承済みの場合はすみません(^^;
 

【第8章】17 総括(7):第二規定「寄生的な資本主義」・3

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 8月 1日(月)23時19分22秒
編集済
  1970年というのはいろいろな意味で大きな転換点だったように思います。「資本」と「国家」の相剋という点でみますと、60年代後半から目立ってきた生産の海外移転(日本語の絶妙な訳語でいう「多国籍企業」)の展開について国連が組織した特別委員会(20名の専門家から成るところから「G20」と俗称されました)の第一次報告が出たのもこの年のことであったかと記憶いたします。

当の報告書、今手許にないのですが、主な点を記憶から掘り出してみますと――

1.複数の国家にわたる生産活動の配置が当該企業の私的意志によって決定され、国家の産業政策や経済計画、雇用対策がそれによって左右される。
2.異なる国にある事業所間での生産物のやりとりが企業内取引であることから価格設定は企業内的に行なわれ、各国の輸出入統計を歪める。
3.多国籍企業は国による税制のちがいを利用して税負担を最小化するように国別の「企業利潤」を操作するため、各国の税収が全体として低下する。
4.企業全体としての資産価値の保全を目的とした各国事業所の保有通貨の転換がひんぱんに行なわれる結果、国際金融不安を増幅する。

企業行動としては合理的でかつ合法的でもある行動が各国の経済主権を脅かしあるいは蝕むという現実への危機感が、各国政府の連合体たる国連をしてこうした報告書を生んだ事情を理解することはむづかしくございません。「水平分業」と俗称された先進諸国間の直接投資の展開は、20世紀後半の世界経済の新たな相貌を特徴づけるものでございました。

このように当時の関心は、主として製造業の分野に置かれ、金融関係については副次的な関心事であったように思いますけれども、58年第一次ドル危機以後繰り返された国際金融不安とそのもとで拡大する国際金融取引が次第に大きな意味を持つようになります。特に、日本では「ニクソン・ショック」と呼ばれたドルの金兌換の最終的な停止によって、国際決済を担う基軸通貨(キー・カレンシー)が名実ともに不換紙幣化し、以後変動相場制へ移行した国際金融は、最後に残った安定装置をも失うに至り、国際金融投機がタガをはずれて拡大いたします。60年代末に「ユーロ・ダラー」と呼ばれた遊休貨幣資本の短期異動が急増し、その取引量が拡大しただけでなく、アメリカの通貨であるドルがアメリカ政府の管理の及ばぬものとして自己運動を拡大する事態を迎えました。各国の銀行も多国籍化と規模拡大を遂げていること、第2章ご報告の折ドイッチェ・バンク・グループの実例をご紹介したとおりです。

これに対応して、上の4にあげた企業行動も、資産保全という当初の動機を離れて、金融操作から生まれる貨幣価値増殖を目的とするように変質いたします。ちなみに、レーニンが『帝国主義論』第5章「資本家団体のあいだでの世界の分割」で例にとりあげているゼネラル・エレクトリック・コンパニー(G・E・C)の現在はどうでしょう。戦後GE(ジェネラル・エレクトリック)の名で世界に知られたこの巨大電機会社は、軽水炉の分野でもウェスチングハウス社と原発市場を二分する力を持ち、近年ではMRIのような高額医療機器でも名を馳せておりますが、その内実からすればすでに「製造業」というより「金融業」に姿を変えていること、先頃も『日経ビジネス』誌(7月25日号)が特集を組んで報じているとおりでございます。ソニーも収益からみて製造・金融(保険とEバンク)・エンタテイメントでほぼ三分の一づつという構成とか。日本の製造業の雄とされてきた日立製作所も数年前に定款を変更して「金融」を事業のひとつにあげておりますし、今やグローバル企業となったトヨタが「トヨタ銀行」と俗称されるほどの金融力を持っていることもよく知られているところと存じます。

かくして、名だたる製造業企業すらその構造と体質を変えるほどに「金融」が膨張を遂げた現代の資本制、それはレーニンの時代とも戦間期とも様変わりしたものとしてとらえ返さねばなりません。世に言う「グローバリゼーション」とは、増殖した金融資本のヘゲモニーと国境を超えるその自己運動が生み出した現象であり、単なる「多国籍化」(国際化)とは一段次元のちがう相にあると考えるべきものでございましょう。
 

Re:いえ、まだ準備してませんから(苦笑)>蘇丹・加里耶夫さま

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 8月 1日(月)23時18分2秒
  わたしもほっと一安心いたしました(^^)。

>レーニンはとうの昔に死んでしまっているのですから、ゆっくり行きましょう(笑)。

はい。それにお暑いですしね(^^;

>第8章を終わった時点で質問の時間も設けませんか?>鬼薔薇さま

はい。ご意見ぜひ承りたく思いますし。
では、次の日曜日まで第八章レポートにお時間いただき、次週をディスカッション・ウィークといたしましょうか。冷たいビールでもいただきながら(^^)v。

となると第九章はお盆明けですね。少しは涼しくなるとよろしいけど。

では、よろしくお願いいたします。m(..)m
 

いえ、まだ準備してませんから(苦笑)

 投稿者:蘇丹・加里耶夫  投稿日:2005年 7月31日(日)23時27分1秒
編集済
  >鬼薔薇さま

>迷走ふうの第8章「総括」レポートをお読みくださってありがとうございます。それも未だ完結せず、「7月中」なっていってたのにはや月末(^^; 次章報告スタンバイされているならごめんなさい。m(..)m> 蘇丹・加里耶夫さん

いえ、実は私もこの間あまり時間が割けず報告の準備がまるっきり進んでいなかったので、今日掲示板を恐る恐る覗いてみて正直なところホッとしているのです(笑)。まあ、内戦中と違って作戦指導の一瞬の躊躇が全部隊を壊滅させるというわけでもないし(笑)、レーニンはとうの昔に死んでしまっているのですから、ゆっくり行きましょう(笑)。

>お詫びの替わりか時間稼ぎかわかりませんが、第9章がらみの高望みさんのコメントを過去ログから採録しておきます。ご参考になれば幸いに存じます。わたしも、半端仕事になっている「カウツキー・コメント」を続けたく思っております。並み居る「反レーニン派」相手にレーニン擁護を語るのは困難が多そうだけど(苦笑)。

私も過去ログを読みながらあの「カウツキー・コメント」が途中で終わっているのではないかと気になっていたのですが、続きを期待しております。カウツキーもレーニンも所詮は20世紀初頭の人なのですから今日を生きる我々としてはその到達点と限界点を歴史に即してに見極めればいいのではないでしょうか。

以下、遅レスですが、

>このエンゲルス予言は“外れた”のでしょうか。フランスの話ですが、有名なリヨンの絹織物工業の担い手もたしか外国人ではなかったかと。およそあらゆる予言など、そのとおりにではなく形を変えて実現するものでしょう。マルクス・エンゲルスの「革命」予言にしたところで、先進国どころかロシアという後進国で起こったわけですし(笑)。

それをもって“外れた”ということもできるかとは思いますけど、それは(野次馬さんが別室でご指摘の)「進歩」史観ではないでしょうか。不連続や飛躍といった「乱」や「転」の諸要素に媒介されてこそ歴史は明暗の活力をみせるのでしょう。レーニンが好んだメフィストフェレスの名科白もまた、その意味で真実の光を放つのではないかと存じます。

この話の出典を探しているのですが、どうも見つかりません。「エンゲルスの予言が外れた」というのはその当該の本にそのようなことが書いてあったと記憶するのですが、私もその部分を読んだとき、19世紀末や20世紀の初頭では実現しなかったことが今形を変えて実現しているのかもしれないとは思いました。実際、アメリカのシリコンバレーのIT労働者の何割かはインド人ですしね。また、今回のロンドンの「同時テロ」もやはり移民問題の難しさ(現地社会での同化と異化)をよくあらわしているのではないでしょうか。9.11がらみのいわゆるアルカイーダ系組織の実行者といわれる人や各地の「イスラーム原理主義」の指導的メンバーのなかで欧米への留学生・留学経験者、滞在経験者がかなり多いことも(そしてそのほとんどがインテリ・技術者であることも)現代資本主義社会の人口流動と重ね合わせて考えるとそれが「近代社会へのプリミティヴな反乱」というよりむしろ現代資本主義社会に「固有」の現象であると言ってもいいのかもしれません。

>臨夏さま

いえ、トゥバには行ってないのですけど(笑)、是非行ってみたいところの一つではありますね。
それからその隣のハカスやアルタイなんかにも。あの辺にもショルやトファラル、テレンギトといわれるトゥルク系の小部族が住んでいたはずですけど、母語保有率も含めて今はどうなっているのでしょうね。いやいや、これは個人的な趣味の話でした(笑)。

追加:「お詫びとお断り>蘇丹・加里耶夫さま」

私も準備まだですから、大丈夫ですよ。それに過去ログを読んで若干言及したい部分もありますから、第8章を終わった時点で質問の時間も設けませんか?>鬼薔薇さま
 
お得なプロバイダーとくとくBB

痴者の感想のようですが(笑

 投稿者:臨夏  投稿日:2005年 7月31日(日)22時57分55秒
編集済
  「Re:正直なところ、>臨夏さま  」、
「【第8章】16 総括(6):第二規定「寄生的な資本主義」・2」
いや〜、鬼薔薇さんのこの最新書き込み、両方とも、「おもしろかった」です!
おもろう読めて、かしこうなった気が致します。
もうちょっとミのある感想がもしでけたらまた書きます(^^;

ps、レス不要ですが、
「高望みさんはそこで、   投稿者: 臨夏  投稿日: 7月30日(土)23時56分57秒」
も、目を通していただけましたか?
余計事すみません。
 

お詫びとお断り>蘇丹・加里耶夫さま

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月31日(日)22時22分28秒
  申しわけございません。
ご覧のような仕儀にて、第八章報告を月内に完了することができずに月を越すこととなりました。まことに恐縮ながら、あと一週間のお時間をいただきたく、伏してお願い申し上げます。m(..)m
 
お得なプロバイダーとくとくBB

【第8章】16 総括(6):第二規定「寄生的な資本主義」・2

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月31日(日)22時19分23秒
  総括(3)〜(5)で、本章解読についての原田教授のコメントと論文に孕まれた理論的危機意識を瞥見してまいりました。臨夏さんの苦言はもっともと存じますが、この『帝国主義論』という小冊子がもつ古典としての意義理解は、とりもなおさずその読み手の「世界」に対する構えを問うもので、当然のことながら原典そのものとならんでその解釈の構えもまた時代を刻印されていること、そこに刻み込まれた時代の意識を手がかりに、今日わたしたち自身の構えと視線を意識的に対自化したいがための“足踏み”でございました。

そのような「解釈論議」であれば、全編解読を済ませた後の作業ではないか、それをなぜここ第8章の「総括」といった中途半端なところで? とのご疑念もあろうかと存じます。わたしの心算としては、なによりここで与えられる帝国主義のいわゆる第二規定、すなわち「寄生的な資本主義」という性格付けが、それを要請していると思うのです。

考えてみますと「寄生性」とは、生産様式としての資本制が産み出す属性にほかなりません。いわゆる帝国主義期に先行する段階、「独占」に対しては「自由主義」、「金融資本」と対比しては「産業資本」と呼びならわされる時代においても、このことは変わらないと思うのですね。いわゆる「産業資本主義(自由主義)」時代の経済を周期的に脅かした経済恐慌を考えてみますと、それは投機行動に媒介されていたことがわかります。投機によって利を得る者たちは、生産世界の寄生者にほかなりませんが、にもかかわらずこの寄生者こそが「貨幣」をその手に集中し、産業資本家にも王侯貴族にもその要する資金を提供しつつ、好況期にも不況期にもそれぞれに利を食んできたこと、ヨーロッパにおけるロスチャイルド一族の存在ひとつをとっても明らかでございましょう。

この貨幣資本の独自運動が生産様式の中枢を占め、国家の政治行動を規定するに至った段階、それがヒルファディングという優れた経済学者によって理論化された「金融資本」の歴史段階であり、レーニンはその理論的成果を吸収しつつ、ここ『帝国主義論』では、第二章で「銀行の新しい役割」を概括し、次いで第三章で「金融寡頭制」という経済・政治支配の構造を述べ、その構造を踏まえて第四章の「資本輸出」論を構成いたしました。ここ第八章は、金融のもつそうした「純経済的」役割が、国家と社会階級とをどのように質規定しているかの叙述だと思うのですね。

レーニンが観測した20世紀初頭において、この質規定をなにより「国家」の性格付け(「金利生活者国家」)に引き付けて述べているのは、列強間の「戦争」が持っていた大きな意味と無関係ではなかっただろうこと、前回にも触れました。まさしく勃発した戦争がヨーロッパ各国を巻き込んでいくそのさなかに書き綴られた『帝国主義論』が「国家」に特段の重さを見出したのも当然と申せましょう。今日の段階から振り返りますと、ヘーゲルやマルクスの時代は「国家」の青年期、カウツキー・レーニン・トロツキー・ルクセンブルクの時代の「国家」は壮年期にあったとも言えようかと存じます。ではわたしたちの生きている現代世界にあって、「国家」は? 第二次世界大戦を経た後の「国家」は、もはや昔日の活力をもって相互に戦い合う条件を喪い、東西ふたつの「陣営」にそれぞれの位置を求めるほかなくなりました。それは列強「国家」がかつての自立性を喪って「陣営」へとその主権の基本部分を疎外し、相互にもたれ合って存立した時代でございました。正義は「国旗」にではなく、「共産主義」か「反共産主義」かにかかっていたこと、多くの方にはまだ記憶に新しいところでございましょう。敵対したふたつの「陣営」自体が相互依存的な関係にあり、それを相互承認したところに「国際連合」が(短命に終わったかつての国際連盟とちがい)ひとつの均衡マシンとして存立し続けた根拠もあったはずと思われます。いわばここで「国家」は老境に入ったと申せましょう。70年代になると、戦後革命の象徴であった人民中国をさえ回春剤にしつつ「国家」は延命を図ってまいりました。

他方、件の「金融」に代表される「資本」はどうだったでしょうか。それは「国家」とどのような関係に入ったのでしょうか。レーニン『帝国主義論』の歴史射程がここに問われると存じます。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

Re:正直なところ、>臨夏さま

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月31日(日)22時17分9秒
編集済
  >難渋な言説は、真理から遠いのではないでしょうか。
言葉にうずもれ、答えからは遠ざかっているように思います。
真理とは、もっと明晰なものではないでしょうか?

お気持ちわかりますし、否定できぬ正しい要素を含んでいるとも思いますけど、わたしホイホイと同調はいたしません(笑)。ここには、昨今流行りのポピュリズムに対する防波堤がないと感じますので。このポピュリズム、政治家のパフォーマンスにとどまらず、近頃は「学問」にまで染み通ってきているみたいですね(大学の没落に対応してかどうか存じませんが)。むづかしいことをわかりやすく、というのはまことにけっこう、誰も反対できるものではないのですが、それがウケ狙いに堕したらおしまいでございましょう。

「むづかしいことをわかりやすく」というのが正しく実現するのは、悪戦苦闘を通じて突き抜けた果てのことではないでしょうか。比較にあげられた『資本論』も、あの第一巻はマルクス自身が“完成”させたものですね。でもそこに至る過程は悪戦苦闘そのものだったはずで、その過程で書き付けられたもの、たとえばいつぞやご言及のあった『経済学批判要綱』という準備ノートなど、それこそ「難渋」「晦渋」だったでしょう? あれはあながち翻訳のせいだけでなく、ドイツ語に堪能な方が原文で読んでもたぶん難渋・晦渋なのですよ(『要綱』研究草分けのおひとり故・平田清明さんがどこかでお書きになっていたかと)。難解をもって知られる『資本論』劈頭の「商品論」がこの世に登場する難産の記録でしょうから。それと意味はちがいますが、原田教授のお書きになったものからもまた、「学問」の裃と正統マルクス主義の堅苦しさを透して、悪戦苦闘の匂いが強く漂ってくるのですね。

原田教授たちの解説を解読ガイダンスに活用しながら、わたしが少しづつ「ラッダイト」を口にしてきていること、お気づきでしょうか? でも、原田教授に感じるのは、いつでしたか「古武士のような」と形容した一種の倫理性でございます。これは、前にエッセイで書いた中野重治さんにも共通するものですが(あるいはあなたの敬愛する石堂さんにも共通する)、困難に立ち向かうその崩れのない姿勢は、「学問」の世界であろうと文学であろうと市井の暮らしだろうと、等価と思っております。理論上のもしくは政治的な意見のちがい、そこでは二次的な事柄に属しましょう。

原田教授の叙述から感じとれる悪戦苦闘をわたし「危機意識」と書きました。そこで直接語られている内容そのものは、かなりの部分がすでに「歴史」に送り込まれてしまっていると思いますが、それがかつて持ったであろう緊張と意義、そして残る今日的な内容もさることながら、その言説に表われる背筋ピシリの姿勢や「俗」に堕すことのないその構えから、学ぶべきものは学び汲み取っていきたく思うのでございます。
 

正直なところ、

 投稿者:臨夏  投稿日:2005年 7月31日(日)06時39分11秒
編集済
  教授たちの『帝国主義』読解、どこまで本質がつかめてるのかな、という疑問を持ちました。
これは、たんにわたしの理解力が足らんが故のひがんだ見方かもしれませんが、
どうもいうことが難渋です。

「難しい事柄」というよりよくわかってないがゆえの不明確に見えてきました。
難渋な言説は、真理から遠いのではないでしょうか。
言葉にうずもれ、答えからは遠ざかっているように思います。
真理とは、もっと明晰なものではないでしょうか?
そして、おもしろいもの。

いま、古典勉強として、『資本論』と『純粋理性批判』を読んでいますが、
『純粋理性批判』はまずわかりやすく面白いし、
『資本論』は難しいが、読むうちに、深みが見えてきておもしろいです。
もちろん、両書とも、「難解」ですが、これは、学問の高みであり、「晦渋」ではありません、
すなおに、自分の無力が認められ、新たに謙虚な気持ちでたちむかう気力が湧いてくる態のものです。

しかるに、『帝国主義』の教授たちのことばは、好き嫌いでなく、「読む気」がおこりません。
マルクス訓古学との言葉を思い出します。

以上、自分の読解の努力の不足を棚にあげ、先人教授たち、
さらにいまここで格闘し、大力書き込みしてはる鬼薔薇さんを侮辱するような意見かも知れません。

わたしが「大衆的見地」にあるとすれば、まさに「象牙の塔」を仰ぎ見るような感じです。
自分は、良い悪いはひとまず置いて、「学問の世界があるとすれば、わたしは大衆やなあ」との孤独感を持ちました。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

高望みさんはそこで、

 投稿者:臨夏  投稿日:2005年 7月30日(土)23時56分57秒
編集済
  カウツキーが言葉を濁して逃げてるのを非難してるのに、
自分(レ)では、「イソップの言葉」とかいうて、のうのうと言葉逃れしてる、、
との指摘やなかったですかね?
よう覚えておりませんが〜。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

Re:どうもです…>コジコジさま

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月30日(土)23時53分50秒
  >レーニンはある意味「国家資本主義」として、権力概念としては別次元の意味で意味で使用しましたし、トロツキーが「国家資本主義」に対しての「労働者国家」と表現したときも、かなり危ういものがあったのは事実です。

トロツキーの「労働者国家」規定はレーニンの「国家資本主義」に対置されたものだったのですか? わたし不勉強で、後年のスターリン体制の特徴づけとしか認識しておりませんでした。レーニンの「国家資本主義」はご指摘のように権力概念ではなくて生産関係範疇として言ったのでしょうね。行政権力は「プロレタリアート」(実体はボルシェビキ党)が掌握していても、基幹的生産手段を国有化しただけで生産関係はまだ資本主義から一歩も出ていない――いえ、帝政時代の生産関係が戦争と内乱で破壊されてしまっていてどうしようもない、とりあえず必要な最低限の物財の生産と供給を再構築するに、当面可能なのは国家資本主義よりない、という切迫した認識だったのではないでしょうか。繰り返し語られる「闇屋」への呪詛が印象的でございます。

トロツキーの「労働者国家」論、詳しくは『裏切られた革命』を精読しなくてはならぬかと思いますが、後代のトロツキズムに伝承された(とわたしが認識していた)かぎりで申せば、ちゃんとした理論範疇というより、行政権力をスターリン官僚に握られたとはいえブルジョア国家になったわけではないという、かなり心情的な国家認識以上ではなかったように思います(だいたいあの人、経済理論はあまり強くなかったみたいだし)。

>そもそも「ロシア革命」という呼称自体が適切なんでしょうか?

まあ議論の余地はあるにせよ、自他共にそう呼んできたため歴史的呼称として定着してしまっていますから、今さら変えてみてどうなるものでもないような(苦笑)。E.H.カーなどは広義には「ロシア革命」、狭義には「ボルシェビキ革命」と呼んでおりますね。

>あれは、階級的力関係で、ツァーのロシア帝国とソヴィエト同盟が重なり合っただけであって、レーニンは「中途半端なヨーロッパ革命」とみなしていたのではないでしょうか?

というか、帝政ロシアから引き継いだ版図が「ヨーロッパ」と「アジア」を含み込んだところにユニークさを感じていたようですね。初期の国名論争でもそれを直截に表す(「ソ連邦」ではない)別の国名を提唱していたとか……ちょっと今調べられないのですけど(^^)ヾ。「中途半端」という点、西方への連続革命を展望していたという意味でも言えるかと思いますが、それは19年までですね。ハンガリー・ソビエトの短命な崩壊とドイツ革命の不発で、とにかく一国で「革命政権」を死守するほかないところへ追い込まれたわけですから。

>やはり基本的には「プロ独」しかないでしょう。

さて、「階級独裁」の理論と「党の独裁」という実態との乖離を含めて、ここは論争のポイントのひとつかと。その脈絡では、西からはルクセンブルクの、国内では左翼エス・エルの主張をどう評価するかがひとつのポイントではないかとわたし考えてまいりました。その文脈では「ソ連論」の蓄積もあれば「先進国革命論」の枠組みでの議論もそれなりに重ねられました。でも、68年頃の「第三世界」革命と「社会叛乱」の経験は、その枠組みを狭いものにしたと思いますし、80年代末の旧「社会主義」崩壊後の世界史は、また別な意味で議論の枠組みを全体として問い直すことを要求しているのではないでしょうか。資本制国家の変容、そこにおける「階級」概念の再検討が、今「プロレタリア独裁」を主題化する前提かと思うのでございます。そのなかで、「20世紀社会主義」の経験が洗い直されねばと。それは、およそ「共産主義」をどこかで身体化した者には、しがらみのようにからみついているはずでございますから。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

【発言再録】第9章関係高望みコメント・2

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月30日(土)23時51分59秒
編集済
  ■経済学哲学板 03年
--------------------------------------------------------------------------
ほんの一例 投稿者:高望み  投稿日: 9月19日(金)07時42分31秒

 「彼[カウツキー]は直接ドイツの聴衆にむかってはなしかけているが、それにもかかわらず、まさにもっとも重要でもっとも緊要なこと、たとえばアルサス=ロレーヌはドイツが併合したものであるということを、おしかくしている。カウツキーのこの『思想の偏向』を評価するために、一例をあげよう。かりに、ある日本人がアメリカ人によるフィリピンの併合を非難したとしよう。このばあい問題となるのは、その非難は併合一般にたいする反感からなされたのであって、フィリピンを自分に併合しようという願望からなされたものではないということを、多くの人が信じるかどうかということである。そして、併合に反対する一日本人の『闘争』は、もっぱら、彼が日本による朝鮮の併合に反対してたちあがり、彼が日本からの朝鮮の分離の自由を要求するばあいにだけ、誠実でしかも政治的に公明正大なものだと考えることができる、ということをみとめるべきではないだろうか?
 このように、カウツキーによる帝国主義の理論的分析ならびに帝国主義にたいする彼の経済的および政治的批判には、もっとも根本的な諸矛盾をぬりつぶし抹殺しようという、マルクス主義とは絶対に調和しえない精神、ヨーロッパの労働運動における日和見主義との崩壊しつつある統一をどんな犠牲をはらっても擁護しようとする努力が、骨の髄までしみこんでいるのである。」(『帝国主義』岩波文庫版、197頁)

 ここにみられるのは、マルクス主義とは少なくとも相対的に調和しえない精神であり、近年よく知られるようになったサイコパスに特有の尊大かつ断定的な予言者の口ぶりです。
 この典型的なサイコパスが、みずから序言(1917年4月26付け)で、次のようにいっているのは笑止というしかないでしょう。

 「社会排外主義者たちが自国の資本家たちの領土併合をいかにあつかましくとりつくろっているかを、検閲を通過しうる形で読者に説明するために、私は例として・・・・日本をとらざるをえなかった!」(p.12、・・・は原文)。
---------------------------------------------------------------------------

こちら、さらに続きがあったのですが、手許のログが途切れております(^^;
自分では「ロシア−ポーランド関係」を明示できず「日本−朝鮮関係」で代用しておきながらカウツキーを論難するなど笑止、といった趣旨であったかと思うのですが。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

【発言再録】第9章関係高望みコメント・1

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月30日(土)23時50分44秒
編集済
  ■読書コーナー 03年
---------------------------------------------------------------------------
レーニンのデマゴキー等 投稿者:高望み  投稿日: 9月19日(金)08時02分52秒

>スーザン・ストレンジ『国家の退場』(櫻井訳、岩波)、これぞ今様帝国主義論ではないかと、すっかりハマっております。これ、学界ではどんな評価でしょうか?

 すみません、このあたり不勉強であまり存じません。いずれ勉強しなくてはと思います。

>高望みさんの辛辣ぶりもレーニン並かしら。

 そうではないと思います。レーニンのは辛辣なだけではなく、あきらかに不当なデマによって論敵を、直接相手の目の届かない、つまり反論もされることがないという場所で、陰険にこき下ろして、仲間内だけで結束を固めようというやり口なのです。「スターリン主義」の正体はレーニン主義だという所以です。

>各章の「デマゴギー」をぜひご指摘くださいませ。

 全編=各章とすると、ちょっと言い過ぎかもしれませんね。細かくチェックすればそれも暴露できるかもしれませんが、徒労なのでそれは勘弁してください。ざっと振り返ったところ、第九章「帝国主義の批判」に統計資料の矛盾した使用も含めて、問題箇所が集中していました。経済統計的な事柄は、第九章のこととてまだ先のこととして、さしあたり、カウツキー非難の箇所について、経哲板で紹介しておきました。
 http://6806.teacup.com/hinaoyaji/bbs
-----------------------------------------------------------------------------

上にご案内のご自身の板でのご発言、過去ログが不調のようですので、手許のファイルから採録しておきます。ただし、シリキレで不完全。ご本人には失礼をお詫びいたします。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

Re:いやいや、軽々開きましたよ>臨夏さま

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月30日(土)23時49分44秒
  どうもいっときの現象だったみたいね。わたしも今は“軽々”(笑)。

迷走ふうの第8章「総括」レポートをお読みくださってありがとうございます。それも未だ完結せず、「7月中」なっていってたのにはや月末(^^; 次章報告スタンバイされているならごめんなさい。m(..)m> 蘇丹・加里耶夫さん

お詫びの替わりか時間稼ぎかわかりませんが、第9章がらみの高望みさんのコメントを過去ログから採録しておきます。ご参考になれば幸いに存じます。わたしも、半端仕事になっている「カウツキー・コメント」を続けたく思っております。並み居る「反レーニン派」相手にレーニン擁護を語るのは困難が多そうだけど(苦笑)。

UP時追:
>でも鬼薔薇さん、もう「7月」も終わりですよ、ふふふ(^^

ああ!(^^;
 

やっとこ、

 投稿者:臨夏  投稿日:2005年 7月30日(土)21時53分45秒
  全部追いつきました(^^;
でも鬼薔薇さん、もう「7月」も終わりですよ、ふふふ(^^

あ、あと1日あるか。。。
 

どうもです…

 投稿者:コジコジ  投稿日:2005年 7月28日(木)01時47分13秒
  鬼薔薇さんどうもです…。

でも、やっぱり「労働者国家」という概念は、奇妙なんですよね。
レーニンはある意味「国家資本主義」として、権力概念としては別次元の意味で意味で使用しましたし、トロツキーが「国家資本主義」に対しての「労働者国家」と表現したときも、かなり危ういものがあったのは事実です。

やはり基本的には「プロ独」しかないでしょう。

そもそも「ロシア革命」という呼称自体が適切なんでしょうか?
あれは、階級的力関係で、ツァーのロシア帝国とソヴィエト同盟が重なり合っただけであって、レーニンは「中途半端なヨーロッパ革命」とみなしていたのではないでしょうか?
 

いやいや、軽々開きましたよ

 投稿者:臨夏  投稿日:2005年 7月27日(水)12時38分8秒
  鬼薔薇さんのご記述、プリントアウトしながら、追いついて読んではいるのですが、
コメントもなしで申しわけないです。
 

なんだかこの板だけ

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月26日(火)23時40分15秒
  やたら“重い”のですが、どうしてかしら?
ひょっとしてわたしだけのこと? 皆さまのアクセスではいかがでしょう?

こんな超マイナーの板、そんなにアクセス数があるわけもなし……(^^;
 
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【第8章】15 総括(5):「金利生活者国家」をめぐって

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月26日(火)23時11分1秒
編集済
  60年代の資本制を前にした原田教授の“二重の危機意識”の表明が、テキスト解釈にとどまらずレーニンその人の記述に対する不満と批判にまで及んでいること、すでにみたとおりでございます。それはなにより、「金利生活者国家」論に集中しておりました。本章のおヘソにあたる記述を振り返りながらその趣旨をわたしなりに整理してみますと、(1) 帝国主義本国が資本輸出先に金融的に「寄生」している、(2) そのような寄生的国家の中で、直接的生産に従事することなく利潤の配分に与る「金利生活者」層が肥大している、という本章第二段切りのふたつの指摘を統一的に理解せねばならぬこと、そのキー概念はふたたび「独占」であり、「金利生活者国家」の経済的基盤は、独占的超過利潤にあること、という点にございましょう。

ここで先行章との関連を確認しておくなら、上記 (1) は第4章の「資本輸出」の記述を対外貿易との比較で具体的に継承・展開したものと読むことができますし、他方 (2) は第3章「金融寡頭制」論を社会階級の視点から捉え直したものとみてよろしいかと存じます。「寄生性」と併記される「腐朽」の現象形態については、むしろ先行章のほうが具体的かもわかりませんね。たとえば第2章「銀行」論での「銀行と産業との『人的結合』」とそれを補完する「これらの銀行や会社と政府との『人的結合』」(岩p.69-70/国p.54)の、あるいはまた第3章における「どんな種類のうしろぐらい醜悪な所業でも天下御免でやりとおして、公衆から巻き上げることを可能にする…『参与制度』」(岩p.81/国p.64)の生々しい記述、それらから必然的に生まれる「金権政治の支配」(岩p.97/国p.77)の指摘、等々。ここ第8章ではいささか記述の具体性を欠くように思われる「腐朽」の諸相は、むしろこれら先行章の記述を補って読む必要がありそうに思います。

これは、まずは具体的現象をとりあげてそこに内在しつつことの本質を抉り出していくという叙述形式と理解すべきでしょうか。それにしては、「金利生活者国家」における「金利生活者」層の姿がイマイチ具体性を欠くようにわたしには思われます。いったいそれは、資本制生産にとって“余計者(寄生者)”なのか、それとも欠くことのできぬ本質的な要素なのか、あるいは彼らこそ資本制社会編成の主導的な存在なのか。原田・庄司両氏はこの章の特徴を「社会階級的分析」に見ておりますが、それにしては支配する側の階級構成の分析がほとんどなく、両先生もその点については特にコメントされていないのですね。そのかわりにレーニンの叙述は、第三段切りにおける上層労働者層の「買収」に収斂してまいります。

具体的な階級分析などは『帝国主義論』があえて差し控えた問題の「政治的」側面に属するのだという読み方もされるかもわかりませんが、わたしの不満はそうした“ないものねだり”ではなくて、資本制生産の構造認識に関わります。よく指摘されるように、資本制生産は「実物経済」と「金融」の二重性を特徴としておりますが、この二重性が当時の経済社会においてどのような具体性をもっていたかという点こそ、もっと立ち入って記述されてほしかったと思うのですね。

マルクス経済学では「段階」規定が重視され、18〜19世紀は自由競争にもとづく「産業資本主義」、20世紀への移行点あたり以後が独占を軸とした「帝国主義」時代というふうに区分されることが多いこと、周知のところかと思います。それとの対比で「帝国主義」以前のイギリスの支配階級を産業ブルジョアジーに見立てる理解も少なくないように思います。けれども当時のイギリスの政治経済を左右する支配的権力の座にあったのは、決して産業資本家層ではなく、シティを中心とした金融資本家層だったのではないでしょうか。むしろ20世紀も30年代以後になって、製造業を基盤とした産業資本家層が政治的影響力を強めていったようにわたしには思われます。それは産業構造が軽工業から重工業へ推転していったことの反映でもありましょうし、「戦争」というものが大きく関わってもいたことでしょう。『一般理論』のケインズが、企業家・労働者・金利生活者という三層構造に着目し、自ら直接生産にたずさわる企業家と労働者との連合をもって、不労所得層・金利生活者と対峙しようとしたのも、そのような時代の意識であったかと思われます。そのような「産業主義」のヘゲモニーが世界的に崩壊してきたのがこの30年ではないかと。
 

【第8章】14 総括(4):『帝国主義論』を“発展的に読む”

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月24日(日)00時19分28秒
  原田教授には、もうひとつの理論的危機意識があったように思われます。それが鮮明に語られているアンチョコ本冒頭の叙述、やや長文にわたりますがご紹介いたしましょう。

《このゼミは、『帝国主義論』そのものを厳密に読む、『帝国主義論』の全体としての理論構成をしっかりつかむということに、第一義的な目標をおくことにしたい。こういう目標の定め方に対しては、最近の学生諸君のあいだからは、ともすると不満の声が出ることが多いようだ。それは結局、今日『帝国主義論』を勉強するのならば、もっと発展的に読んでもらいたいということだろう。もちろん、今日『帝国主義論』を勉強する態度の基調が、現代の資本主義にたいして『帝国主義論』をどのように発展させるべきか、という点におかれるのは当然のことだといえる。だが、学生諸君の頭にこういう不満がまずのぼってくるというのは、当世流行の、資本主義の最近の発展にたいしてマルクス経済学は発展させられなければならないという発展論ムードに、染まっていることからきているように思われる。そしてそれにはやはり、スターリン批判というものが思想的な背景となっていると考えられるし、またこういう考え方自体は一般的には妥当であり、重要であるといえるわけだが、ただ問題は、発展させるといっても、そうのん気な問題ではないということだ。
 資本主義の現実の発展の一こま一こまを単純に人類社会の普遍的発展の一こま一こまとしてとらえる、卑俗な相対的歴史観などとはまるでちがって、マルクス主義の歴史観は、歴史を社会発展の法則のうちにとらえ、資本主義社会の歴史をこの社会の特殊歴史性として、それの発生・発展・死滅としてとらえる。マルクス経済学はこの特有の歴史把握の方法のゆえに、社会科学としての高度な体系性をもっているのであって、それだからまた、その経済学を現実の資本主義の発展にたいして発展させていく場合にも、この体系性にもとづく一定の理論的基準をもってせざるをえないのだ。この点をのん気に考えて、資本主義の現実が発展していくのだから経済学も発展させられねばならぬというような、漠然とした発展観でのぞむことになると、『帝国主義論』を今日的に読むという場合、その中のあれやこれやの規定をいわば勝手にひっぱり出してきて、それが現代の資本主義にも当てはまるとか、当てはまらないとかいった矮小化された議論で片づけられがちである。このゼミが、『帝国主義論』そのものの全体としての理論構造を統一的に把握するということに第一義的な目標をおくのも、これなくしては現代の資本主義にたいして『帝国主義論』を発展させるということも正しくは達成できないだろう、という見地に立っているからである》(第一講「『帝国主義論』をどう読むか」)。

まことに正統的な見地と申すべきでございましょう。そして、この理論的危機意識と課題認識を触発した対象が、目前に展開されつつあった当時の資本主義のめざましい発展=高度成長の現実に押し流されるような、マルクス経済学の理論的流動化現象にあったことも行論から明らかと存じます。

このアンチョコ本が雑誌連載をまとめて単行本になったのは1973年ですが、「序文」によれば上の「第一講」の雑誌初出は1962年――60年安保の後を担った池田内閣の「所得倍増計画」が設備投資主導型高度成長の本格展開を主導し、ケインズ理論を主流とする近代経済学が学界・官界・民間エコノミストとジャーナリズムに華々しい展開を示した時期にあたります。その影響はマルクス経済学にも容赦なく及びました。たとえばその高度な学問性を誇った宇野経済学のなかでも、故・玉野井芳郎さんがのちに『マルクス経済学と近代経済学』という著書に結実するような問題関心を広げ、若手では第一次ブンドの理論的指導者・姫岡玲治こと青木昌彦さんなど安保全学連の指導者の何人かがあいついでアメリカへ留学し、近経の若き旗手としての地歩を築くことともなりました。

以後今日までの『帝国主義論』解釈史は研究者の専門的仕事としても、ここに示された原田教授の二重の危機意識は、今、原テキストを前にするわたしたちも、今日の資本制をみつめるよすがとして、念頭においてよろしいかと思うのでございます。
 
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【第8章】13 総括(3):レーニンと戦後資本制

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月21日(木)23時32分3秒
  原田三郎教授は、本章解読上の問題点を示す中で、次の“注意”を書き付けております。

《そこでさらに注意しておきたいことは、この独占に固有な停滞と腐朽の傾向ということを、帝国主義に固有な寄生性という問題から切り離して理解してはならないということである。これを切り離して取り上げることから、この独占に固有な停滞と腐朽の傾向という問題を、単純に資本主義はなお発展するかしないかという問題にすりかえてしまう誤りをおかすことになるのではないかと、ぼくは考える。》
([作業室]No.10 (2005/06/30 01:02)  〔参考〕第八章の問題点について)

この指摘は、1968年の論文「『寄生性』についての若干の理論的問題――『八章』の理解を中心として」の末尾では、さらに立ち入ってレーニン批判として次のように述べられております。

《レーニンが、寄生性の社会的政治的条件への反映、とりわけ、それの労働運動におけるブルジョア的潮流への反映の分析において、何の限定もなく「金利生活者国家」を分析の出発点にすえ、その具体的分析をホブソンによりつつイギリスを素材として進め、そのイギリスに先行してあらわれた、いわば先行的な寄生性と本来的の帝国主義的寄生性とをその類似と相違とにおいて対置したことは、一方では、寄生性を対外的寄生性としてのみ理解し、他方では、寄生性を停滞としてのみ理解する、寄生性の理論の矮小化をいくぶんかは力づけ〔た〕か、あるいは少なくともそれに正当性の口実をあたえているように、私には思われる》。
([作業室]No.9 (2005/01/27 23:44)  〔参考文献〕「寄生性」論文・5/了)

この批判的疑問には、いくつかの背景事情があったことでしょう。第一に、戦後資本制がかつて誰も予想しなかった「高度成長」を達成しており、「停滞」論は事実によって否定されたこと、第二に、その経済成長の最大の推進力が技術革新に支えられた製造業の急速な高度化と拡大にあったこと、それを導いた戦後型ケインズ政策が「金利生活者」を脇役とした「生産関数」イデオロギーを軸に労使協調の新次元をひらいていたこと、等々。上の批判的コメントは、いわゆる「窮乏化」理論の批判的再検討と並んで当時のマルクス経済学においてさまざまに論議を呼んだ、「国家独占資本主義論」「現代帝国主義」論と相呼応する問題意識によるものであったように思われます。

たとえば、『帝国主義論』のキーワードのひとつと理解される「資本輸出」をとってみても、レーニンが観測したものがもっぱら証券投資に代表される「利子生み資本」を中心としたものであったのに対し、1960年代後半から明瞭になった傾向は、生産の海外移転=直接投資が主役に替わっておりました。それが後年(1970年代)には「多国籍企業=MNCs」(OECD)あるいは「超国家企業=TNCs」(国連)と呼ばれることになるのはご案内のとおりでございます。さらにまた『帝国主義論』が重視した「植民地領有」についても、高分子化合物をはじめとする代替原料の登場と普及およびアメリカに特徴的な穀物生産の急拡大によって、先進工業諸国の途上国依存度はいちぢるしく低減し、旧植民地地域の多くが「北」の成長から取り残される「南」地域となって、飢餓と貧困に呻吟する事態が世界的な問題になるに至りました。「北」にとって“黄金の60年代”と呼ばれた時代は、途上国を対象とする“開発援助の60年代”でもございました。

こうした歴史条件の中で、「北」の先進諸国を「金利生活者国家」として特徴づけてみても何の具体的な分析にも説明にもならぬとの理論的危機意識を、この原田論文は強く示しているといってよろしいかと存じます。
 

【第8章】12 総括(2):第二規定「寄生的な資本主義」・1

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月20日(水)23時34分7秒
編集済
  次章ご担当の蘇丹・加里耶夫さんおみえですし、本章のしめくくりを急がねば(^^;

第7章のしめくくりにあたって原田教授は、次のような総括コメントを与えておりました。

《この章の理論的位置には二つの側面がある。まずこの章は、一章から六章にわたって分析されてきたところの帝国主義の経済的諸特徴を総括し、そこから純経済的概念に立脚した帝国主義についての根本概念を導き出すという側面である。換言すれば、一章から六章までの全分析を、「帝国主義とは資本主義の独占的段階である」という帝国主義の純経済的な根本概念に総括することである。
 この総括により、帝国主義はその経済的基礎によって第一の全体的な性格規定〔以下第一規定と略称する〕を与えられるわけであるが、この第一規定は以下八章から一〇章にわたって展開される第二の全体的な性格規定「寄生的な資本主義」および第三の全体的な性格規定「死滅しつつある資本主義」への基底をなすものである。換言すれば、五つの経済的な基本的指標を包含するこの第一規定の土台の上に、帝国主義の社会的階級的性格が第二規定として打ち出され、さらに第一、第二の両規定が帝国主義の歴史的地位についての第三規定に総括されていくのである。これがこの章の占める理論的位置のもう一つの側面である。》
 http://homepage2.nifty.com/onibara/lib1/guidance.html#14

この「寄生性」が「独占」を基礎に生み出された事情については先にみたところですし、そしてここ第8章が与えるこの第二規定で「資本主義」が“純経済的概念”をなにほどか超え出て“社会階級的”概念を含むものへ意味拡張されていることも、見易いところでございましょう。というか、「労働運動における日和見主義」の出現とその全ヨーロッパ的伸張、その主導下に引き起こされた社会主義者の戦争協力という政治的事態を、単なる政治意識〜イデオロギーの問題としてではなく、プロレタリア階級の分裂として社会的に、さらにその社会現象の経済的基礎付けから提起することこそ、この小冊子の目的とするところだったわけですね。

しかし今日の段階から読み直しますと、ここでの「寄生性」の叙述にはいくつか再考すべき問題が孕まれていることに気付きます。たとえば、「寄生性」というのは、第一規定の「独占」がそうであるように、当時の資本主義の一般的特徴づけの問題であるはずと思って読んでいると、いつのまにか議論の軸足が「金利生活者国家」という“国家”の特徴づけに移行しているところ、ふむふむと読んでいるうちはいいのですが、おやと思い直すと奇妙な感じを誘われずにおれません。「寄生性」と並べられる「腐朽」という特徴づけの行方もこのあたりからよくわからなくなってまいります。

どうもそれらがないまぜになって「日和見主義の社会経済的基礎づけ」とされて、戦争賛成に身を転じたヨーロッパ社会主義多数派の「政治的」性格付けを“えいやっ!”と描き上げたという印象が強いのですね。そこには、開戦と同時に表面化した「バーゼル宣言」に対する裏切り的行動への押さえがたい憤りが渦巻いていたことでしょう。そのかぎりでここの叙述は、すぐれて時代的な要素に染め上げられていると思うのです。ではそこに今日も意義を持つ普遍的な要素があるのでしょうか、あるとすればそれはどのように掬い上げられるべきなのでしょうか。
 

では7月中に第8章を終えましょう

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月19日(火)22時51分39秒
編集済
  >さぼっておってすみません(臨夏さん)

いえいえ、それはわたしの科白(^^;
第8章総括に入ってから2週間もの長期おサボリ、申しわけございませんm(..)m>ALL
このところの気候の変化で、それでなくともよろしくないドタマ、いえアタマがいささかマヒ状態、ふらふらと他所の板にお邪魔してはやくたいもないことを書き付けたり……。はい、ピリ辛カレーでも食べ、汗を流し気を取り直してホームグラウンドに着床すべく心がけましょう。

>復活しました(蘇丹・加里耶夫さん)
お待ちしておりました(^^)。
でも、上のごとき仕儀にて、早めにお顔を出されたらなんとしようと内心ビクビクしてもいたところでございます。“7月中はまだ忙しい”とはまた、わたしにとっては都合よく(苦笑)、お言葉に甘えて7月いっぱい第8章にくださいませ。

第9章については、一昨年の高望みさんの関連発言を[作業室]に再掲しておきますね。

>そのころすでにインドからイギリスへの移民の波が押し寄せてきていて、エンゲルスはそれを見てその傾向がさらに拡大し、多くのインド人がイギリスでイギリス人と肩を並べて労働運動を担うようになることが、社会主義への発展の方向性だと述べていたらしいのですね。

このエンゲルス予言は“外れた”のでしょうか。フランスの話ですが、有名なリヨンの絹織物工業の担い手もたしか外国人ではなかったかと。およそあらゆる予言など、そのとおりにではなく形を変えて実現するものでしょう。マルクス・エンゲルスの「革命」予言にしたところで、先進国どころかロシアという後進国で起こったわけですし(笑)。

それをもって“外れた”ということもできるかとは思いますけど、それは(野次馬さんが別室でご指摘の)「進歩」史観ではないでしょうか。不連続や飛躍といった「乱」や「転」の諸要素に媒介されてこそ歴史は明暗の活力をみせるのでしょう。レーニンが好んだメフィストフェレスの名科白もまた、その意味で真実の光を放つのではないかと存じます。

え、弁証法? さぁ、そのあたりはわたし……(苦笑)。
 

おや、復活おめでとうございます〜!(^^)

 投稿者:臨夏  投稿日:2005年 7月19日(火)06時58分25秒
  おひさしぶりです、トゥーバの方にでも行ってはりましたか(笑
わたしも、そろそろ復活します〜。
 
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復活しました。

 投稿者:蘇丹・加里耶夫  投稿日:2005年 7月18日(月)17時53分35秒
  鬼薔薇さん、みなさんお久しぶりです。

ちょっと7月中はまだ忙しいのですけれど、第9章の報告のほうも準備していきたいと思います。

それから、

>今日でいう「移民労働者」問題ですけど、この部分の記述をみてすぐ気付くのは、移住民の出身地がポーランド、イタリア、スペイン、東ヨーロッパ、南ヨーロッパなど、白人地域に限られていることですね。植民地地域からの移住はこの時期まだ大きな問題になっていなかったこと、現代との差を感じます。それにしても、かつてこの場で「移民」問題を少し議論したとき、こうした“労働力輸入”問題は視野に入っておらず、もっぱらヨーロッパ諸国から外への移出民を話題にしておりました。上のホブスンの記述は、第一篇第3章「人口の捌け口としての帝国主義」にみえるものですが、ここでホブスンは、国内の「人口過剰」→「移民促進」という帝国主義宣伝が虚偽のものであることを統計に基づいて論証・反駁しております。一年半前のわたしたちの議論も自己批判的に振り返ってみるべきところかと思います。

何の本で読んだのかは忘れたのですが、最晩年のエンゲルスだったかが言っているらしいのですけど、そのころすでにインドからイギリスへの移民の波が押し寄せてきていて、エンゲルスはそれを見てその傾向がさらに拡大し、多くのインド人がイギリスでイギリス人と肩を並べて労働運動を担うようになることが、社会主義への発展の方向性だと述べていたらしいのですね。なんだか読んだ本の内容もうる覚えで、そのままのとおり語っているかも自信がないのですが、本を読んだ当時いわゆる「資本の文明化作用」というのは、よくありがちな「植民地への文明の普及」といったような帝国主義お好みの論理とは違って、こういうことを意味しているのか、と思ったのですね。まあ、エンゲルスの読みも外れたわけですし、後の「人」を地域や民族に還元するやり方ではなくて、「個人」を重視しているのが19世紀的であるともいえるのですが、エンゲルスの時代にもすでにそういう状況はあったのですね。手があいたら出典本を探してみます。

私自身の移民論は

>アメリカのアイルランド移民の例を引きましたが、同時に彼らは有産階級無産階級含めてアイルランドの独立運動をも熱烈に支持していましたね。「越境する労働」はそこに否応なく「民族」の相貌をも持つはずですし、移民労働者の持つ「本国」とのつながりと「移住国」とのつながりという「二重のつながり」は、「越境する資本」の世界性とどのような形で「交叉」することになるのでしょうか。そんなことが今私の考えていることです。

というところで停滞してしまっていますけど(苦笑)。

では、また。

追:以前この議論をしていたときに取り上げたことのある“モリーマグワイア”、これをテーマにしたアメリカ映画が今日本でもDVDで見れるようです。

『男の闘い』('69・米)監督:マーティン・リット 出演:ショーン・コネリー、リチャード・ハリス

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002886WO/250-5140825-2015462

こういうテーマの映画が作られ商業ベースで公開されていたことといい、やっぱり'69−70という時代背景をもとにしているのでしょうね。私も見たことがないので、借りてきてみようと思っています。
 
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さぼっておってすみません、、(わかりにくい言い方を微修正)

 投稿者:臨夏  投稿日:2005年 7月12日(火)10時23分29秒
編集済
  スターリンは、歴史的共産主義を勉強したいわたしには、必要なものです。
わたしも、『マルクス主義と民族問題』読みたいですね。
TAMO2さんが打ち込むとき、図書館から、『スターリン全集』とか借りてこられへんのでしょうか?
『マル民』、もしできたら教えてください。
人の労働にすがってばっかりで、いつかわたしも社会に還元せんなりませんね(苦笑
 
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いやあ、入手していません

 投稿者:TAMO2  投稿日:2005年 7月12日(火)09時57分38秒
  >『マルクス主義と民族問題』
ゲットし次第、優先的に電子化します。しかし、いつのことやら?
 
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マヤコフスキー

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月10日(日)23時28分9秒
  とはお懐かしい(^^)。アップありがとうございます。
スターリン体制が未確立のソ連邦初期の雰囲気ございますね。でも、それも「レーニン神格化」の大波に飲み込まれてしまったのでしょう。
妹のエルザ・トリオレが、フランス共産党へ入ったルイ・アラゴンの奥さんになるのでしたっけ。

スターリンでしたら、『マルクス主義と民族問題』をリクエストさせていただきたく思います。
 

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