投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助動画検索<OBJECT>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.コミュニティ ] [ 検索 ]

投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

[PR]  グアム格安旅行 求人・転職 seo対策 物流コスト
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ teacup.コミュニティ ] [ ブログ ] [ チャット ]
【From teacup.】この掲示板は投稿が一定期間無いため、各記事中に広告を表示しています。

全457件の内、新着の記事から30件ずつ表示します。 5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  |  《前のページ |  次のページ》 

マルクス・レーニン以外の国民文庫は

 投稿者:TAMO2  投稿日:2005年 7月10日(日)10時10分0秒
編集済
  公開しちゃおうかな、と考えております。実質、入手困難ですので。(古本屋に国民文庫
がたっぷりあるのは東京と大阪だけと思います。)

今、考えているのは『レーニン主義の基礎』です。

今、作成中なのは『叙事詩 ウラジーミル イリーチ レーニン』です。
途中ですが、アップしてみます。

http://www.geocities.jp/mlismtxt001/kokuminbunko447/kokumin_447.html

 


Re:金融資本論(国民文庫)アップしました> TAMO2さま

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月10日(日)09時45分30秒
  ご苦労さまでした。
それにしても、画面上改行なしでおそろしい横スクロールには驚きました(。゚)。
読むにはエディタに落とし直さねばなりませんね。

『金融資本論』は岩波文庫で岡崎訳を入手できますが、他では文庫化されていない(いや、とにかく新刊本では入手できない)旧国民文庫ならではのものの電子化、切に待ち望んでおります。
 

金融資本論(国民文庫)アップしました

 投稿者:TAMO2  投稿日:2005年 7月 8日(金)18時58分28秒
  とりあえず、素寒貧のテキストファイルです。膨大ですし、ズレまくりなので取り扱いに
ご注意。

http://www.geocities.jp/mlismtxt001/f_dk1.txt
http://www.geocities.jp/mlismtxt001/f_dk2.txt
 
お得なプロバイダーとくとくBB

【第8章】11 総括(1)「労働者」の分裂と反帝国際主義

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月 3日(日)21時36分48秒
  本章結語部分が語りだしているのは、かつてイギリス一国にみられた条件が複数の列強に現れ、それとともに“労働者の一部のブルジョア化”もまたそれら諸国に共通の現象となった、ということだけではございません。列強間の熾烈な世界分割闘争というあらたな経済的・政治的諸条件に規定されて、“労働者の一部のブルジョア化”が「排外主義」の有力な一部を構成するにいたったこと、それをレーニンは、日和見主義の終局的な成熟と爛熟そして腐敗と性格づけたわけでしょう。各国労働者はここに、国境をはさんで互いに「国民」として敵対し、武器を取って殺しあう関係に否応なく立たされます。それと同時に、労働者のなかで、「ブルジョア化」した特権的な一部“上層”とそれ以外の多数を占める“下層”との分化・対立もまた不可避的に激化する、との観測に導かれます。

ここでレーニンが、いえ、20世紀のプロレタリア革命が直面しているのは、かの『共産党宣言』が語りあげた問題のあらたな次元への転質と考えるべき事柄でございましょう。

《労働者は祖国をもたない。もっていないものを、奪うことはできない。そうではあれ、プロレタリア階級は、まずは政治的支配をかちとり、国民的階級となって、みずからを国民として組織しなければならないという点では、ブルジョア階級の言うのとはまったく違った意味ではあれ、かれら自身なお国民的である》(金塚貞文訳『共産主義者宣言』[*]、〔太田出版〕、p.56)。

「労働者」は、社会階級としては“祖国を持たない”、けれども政治的には「国民的階級」として自らを組織しなければならない――ここに語りだされたのは明らかにひとつの矛盾でございます。けれども、このテーゼとそれが孕む矛盾(=否定による媒介)に、おしなべての左翼主義はどれほど深刻に向き合ってきたでしょうか。『宣言』が原理的に語り出すこの矛盾が現実に労働者の政治的分裂として顕在化したところに「今日の状態の特徴」を見定めたのがレーニンだったのではないでしょうか。それへ回答は、当然ながらマルクスやエンゲルスの書き残したものに見出せるわけもなく、“マルクスを超えるマルクス主義”の地平を自力で拓くほかありません。その回答が「帝国主義戦争を内乱へ転化せよ!」の反帝国際主義であり、「国民的階級」として自らを組織する具体方針が「すべての権力をソビエトへ!」であり、「ブルジョア階級の言うのとはまったく違った意味」が「労農民主独裁」テーゼの含意であったと理解してよろしいかと存じます。

こうした諸テーゼが、当時の社会主義者に共通観念として抱かれていた「マルクス主義」からどれほどへだたったものであったか、それを想像することは決して容易でないことに属します。それを、第二インタナショナル主流の「社会民主主義」と左派=ボルシェビキの「共産主義」との分裂と対立で難なく説明できると考えるのは、今や過去のものとなった「マルクス・レーニン主義」の観念世界に安住したい精神の怠惰にほかなりません。

その観念の泥沼から身をもたげるにつれて、これらのテーゼがボルシェビキのなかでさえまともには受けとめられなかったレーニン、アルチュセールのマキアヴェリ論を援用したジジェクの表現を借りれば「レーニンの孤独」が透けて見えてくるはずであり、この『帝国主義論』は、その「孤独」の方針提起を支えた時代認識の書として読み直されるべきものと思うのでございます。こうした読み直しこそ、神格化された「レーニン」像を「マルクス・レーニン主義」なるイデオロギーの呪縛から解き放つ営みでございましょう。それはまた、《呪術からの解放》というあのウェーバー・テーゼのひとつの理論的実践でもあるかもわかりません。

まとめにあたっていささか風呂敷を広げすぎたかもわかりませんが(笑)。

[*]『共産党宣言』を『共産主義者宣言』と訳す問題理解については、同訳書の訳者後記「刊行に寄せて――今どき何が『共産主義者』か」、および石塚正英「共産党宣言は共産主義者宣言である――『共産党宣言』と政党の廃絶」(篠原敏昭・石塚正英編『共産党宣言――解釈の革新』〔御茶の水書房〕所収)ご参照。
 

Re: アレント> TAMO2 さま

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月 2日(土)22時14分26秒
  >『全体主義の起源』、みすず版では「2」です。去年購入するも、水没しちゃいました。
虫干ししたんですが、ごわごわ。

ご教示へのお礼とともに、ご災難にあらためてお見舞い申し上げます。高価な本ですのにね(^^;

内容につきましては、[談話室]のほうでコメント差し上げることといたします。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

【事務連絡】 第8章総括コメントのご紹介

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月 2日(土)22時12分51秒
  アンチョコ本9講「資本主義の寄生性と腐朽化」から、その最後に位置する原田教授のコメント「総括――本章の理論的位置」を、ライブラリの「解読のガイダンス」に追加収録いたしました。以後のまとめの作業に参照・活用してまいりたく思います。皆さまもぜひご一読くださいませ。  
お得なプロバイダーとくとくBB

アレント

 投稿者:TAMO2  投稿日:2005年 7月 2日(土)08時58分54秒
編集済
  『全体主義の起源』、みすず版では「2」です。去年購入するも、水没しちゃいました。
虫干ししたんですが、ごわごわ。

------
アレントの政治観については、真理と政治的意思決定の狭間を無理矢理従属的に結婚さ
せたマルクス主義者の悪業(笑)を分離させようとしているので、小生的には非常に共感
するところです。この点の小生の思い、簡単に言えばこうなります。

「革命? んなもん、大衆が望むとき真理なんじゃ! 大衆が望まんときは、軽々しく
言うな、革命から出発する思考は止めとけや! そんなもん大衆に真理と押し付けるか
ら、お前ら大衆から遊離するんじゃ!」と。いわゆるレーニン主義に喧嘩売ってます。
 

Re:労働者のブルジョア化に関する一つの試論>TAMO2さま

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月 1日(金)23時35分32秒
  >しかしなー、何たる偶然。この文章にこのタイミングで出会えるとは!

ほんとにね(^^)。

ご紹介の本を読んだ上でとすべきところでしょうけど、ひとこと感想だけ。

>帝国主義とは、過剰資本の輸出であるだけでなく、政治と階級闘争の輸出であり、国家主権による政治的・革命的なヘゲモニー闘争の行使である。レーニンのこのような読み方は、伝統的なマルクス主義に欠落していたものである。とりわけマルクス経済学の帝国主義論の従来の解釈は、もっぱら過剰資本の輸出という資本の経済的論理に焦点が当てられ、政治的矛盾が国家主権を媒介にして対外的に転移される回路についての考察は十分なされてはこなかった。

ここは当読書会の初心と大きく重なるようにも思われます。けれどもそれは、次のこととは別ではないかしら。

> だがそれは労働運動の腐敗であり一部の労働貴族化であって、労働者階級が総体として(太字はTAMO2)帝国主義者に変質する過程についての考察ではない。労働者階級は帝国主義戦争を内乱に転化し、社会主義革命を遂行する主体ではあっても、帝国主義の担い手になりうる主体とはみなされなかった。この視点の欠落はマルクス主義の盲点となった。

「政治」と「経済」ではなく、「政治」と「社会」との区別と連関が問われるべきところと思います。その視点の欠落は、「マルクス主義の盲点」ではなく、左翼革命主義の盲点と申すべく、この著者にしても果たしてそれから自由かどうか、判断を保留せざるをえません。

それと、ここで俎上にあげられているアレントの著作は何というものでしょうか?
ハイデガーの愛弟子にして大著『全体主義の起源』で知られるこの女流政治学者は、「公共性」議論で近年ふたたび脚光を浴びておりますね。わたし、その「政治」観にはあまり納得いかないのですけど、ユダヤ人問題についての観点には学ぶべきもの多いかと思っております。
 

こんばんは!で、続き

 投稿者:TAMO2  投稿日:2005年 7月 1日(金)00時50分34秒
  で、アレントの言説を追います。

------
P173L6〜

アレントによれば、一八七〇年代に本格化する帝国主義は、権力政治のありかたの転換をともなっていた。この時代に、それまで国民的利害が国土空間に限定されていた政治が、権力を対外的にかぎりなく拡大する政治へと転換する。(中略)

 この権力政治の転換をもたらしたものこそ、ブルジョアジーの政治的舞台への進出であった。それまで一九世紀に市場取引の経済領域において私的利益を追求していたブルジョアジーが、みずからのヘゲモニーを行使すべく政治の公的領域に登場する。それはなぜか。ブルジョアジーは国内の過剰資本を対外的に輸出して資本蓄積の危機を打開するための政治的回路形成に向かったからである。(中略)

 ブルジョアジーがみずからを政治的階級として組織したのは何のためか。それは国内における諸階級の利害紛争を棚上げにしてそれを外部に移転するためである。国内の矛盾や利害対立を国外へと転移するために政治的なヘゲモニーを掌握すること、これこそブルジョアジーが政治的舞台へと進出した理由である。ではいかにして、ブルジョアジーはこの転移をなしとげたのか。それは階級間の対立を民族間・人種間の対立へと転移させ、ブルジョアジーと労働者大衆との同盟を形成することであった。アレントはこれを《資本とモッブの同盟》と呼ぶ。

(続くかどうか、考え中)
 
お得なプロバイダーとくとくBB

労働者のブルジョア化に関する一つの試論

 投稿者:TAMO2  投稿日:2005年 7月 1日(金)00時38分56秒
  っつーか、レーニンが視野に収めていなかったものを明らかにしているわけですけど。
しかしなー、何たる偶然。この文章にこのタイミングで出会えるとは!

『レーニン 革命ロシアの光と影』p172〜173より
------
帝国主義とは、過剰資本の輸出であるだけでなく、政治と階級闘争の輸出であり、国家主権による政治的・革命的なヘゲモニー闘争の行使である。レーニンのこのような読み方は、伝統的なマルクス主義に欠落していたものである。とりわけマルクス経済学の帝国主義論の従来の解釈は、もっぱら過剰資本の輸出という資本の経済的論理に焦点が当てられ、政治的矛盾が国家主権を媒介にして対外的に転移される回路についての考察は十分なされてはこなかった。

 ただし、レーニン自身も、この回路については『帝国主義』で十分な言及をしているとは言えない。労働者階級の一部が富裕化して労働貴族が出現し、労働者が分裂して、日和見主義が台頭し、労働運動が退廃する。これをレーニンは「帝国主義的傾向」と呼び、「労働運動の日和見主義とイギリス資本主義の帝国主義的特殊性」との関連に着目し、労働者が「イギリスの世界市場における独占と植民地の独占のおすそわけに気楽にあずかっている」というエンゲルスの文章を引用している。そして日和見主義が腐敗した結果、「社会排外主義として、ブルジョア政治とすっかり融合しあっている」と述べる。

 だがそれは労働運動の腐敗であり一部の労働貴族化であって、労働者階級が総体として(太字はTAMO2)帝国主義者に変質する過程についての考察ではない。労働者階級は帝国主義戦争を内乱に転化し、社会主義革命を遂行する主体ではあっても、帝国主義の担い手になりうる主体とはみなされなかった。この視点の欠落はマルクス主義の盲点となった。

(一旦終了)
 

【事務連絡】 教授コメント「第八章の問題点について」のご紹介

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 7月 1日(金)00時27分32秒
  本章の解読上問題となりそうな点のいくつかにつき、原田教授がコメントされている内容を[作業室]のほうへ掲載・ご紹介いたしました。下記論文と併せてご参考までに。

 原田三郎 「『寄生性』についての若干の理論的問題」

わたしは、生意気ながら教授のお説に必ずしも賛成ではございません。
その点、追々。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

【第8章】10 第三段切り(5):大英帝国の世界独占と「労働者のブルジョア化」

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 6月29日(水)22時57分30秒
  「帝国主義の二つの大きな特徴――膨大な植民地領有と世界市場における独占的地位――が、イギリスでは、すでに一九世紀のなかば以来存在していた」とは、第一章「生産の集積と独占」で語りだされた「独占」、資本の集中・集積から産み出された(競争から産み出されながら競争と対立する)あの「独占」とは異なるもの、有力な対抗者が未だ登場していない段階の世界での「独占」であったこと、申すまでもございません。ですから、それを指して「イギリス資本主義の帝国主義的特殊性」と呼ぶときの“帝国主義”もまた、「帝国主義とは資本主義の独占段階である」というあの「第一規定」の「帝国主義」とは、とりあえず区別しておく必要がございましょう。

そのような、当時より「はるか以前」の時代のイギリス――七つの海をユニオン・ジャックが制覇する“陽の没することなき大英帝国”における労働者階級とその運動についてレーニンは、1858年およびマルクス宛書簡、同1881年書簡、そして翌82年のカウツキー宛書簡でエンゲルスが示した観察を紹介したうえで、要点を次のようにまとめてみせます。

「ここには、原因と結果が明白に指摘されている。原因は、(一)この国による全世界の搾取、(二)世界市場におけるその独占的な地位、(三)その植民地独占、である。そして結果は、(一)イギリスのプロレタリアートの一部のブルジョア化、(二)プロレタリアートの一部が、ブルジョアジーに身売りしたか、あるいは少なくともブルジョアジーから金をもらっている人間に自分たちの指導をゆるしていること、である」(岩p.175/国p.140)。

さて、それから数十年を経たレーニンの時代、イギリスの世界独占は過去のものとなり、パックス・ブリタニカにかわって列強が互いに覇を競うようになった世界ではどうか。

「二〇世紀の初めの帝国主義は、ひとにぎりの国家による世界の分割を完了した。そして、これらの国家のおのおのは、現在、1858年のイギリスにくらべて少しばかりすくない『世界』の部分を搾取(超過利潤を引き出しているという意味で)している。そのおのおのは、ある程度まで植民地独占をもっている」(前同)。「世界の分割は徹底的におこなわれた。だが他方では、イギリスの全一的な独占にかわって、われわれは少数の資本主義列強のあいだでの、独占に参加するための闘争を見るが、この闘争こそ二〇世紀の全初頭を特徴づけるものである」(岩p.175-6/国p.141)。

では、この大闘争時代における「労働者」は? 第8章は次のように結ばれます。

「今日の状態の特徴は、日和見主義と労働運動の一般的・根本的利益との非和解性を強めないでは置かないような経済的および政治的諸条件にある。……日和見主義は、もはや今日では、それが一九世紀の後半にイギリスで勝利をしめたのと同様に、数十年の長きにわたってある一国の労働運動における完全な勝利者となることはできない。反対に日和見主義は、幾多の国で、終局的に成熟し、爛熟し、ついに腐敗してしまって、社会排外主義として、ブルジョア政治とすっかり融合しあっている」(同)。

もちろんこれは、開戦と第二インターナショナルの崩壊という悪夢のごとき事態のなかから次の時代をさしのぞこうという緊張意識が書かせたにちがいないのですが、さてこの結語部分をどう読めばよろしいのか、あらためて考えてみるといたしましょう。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

【第8章】9 第三段切り(4)「労働者」の分裂と帝国主義

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 6月27日(月)22時27分20秒
  さて、第三段切りも末尾部分、第8章も最後の段階を迎えました。

「とくに注意しておかなければならないことは、労働者を分裂させ、労働者のあいだに日和見主義を強め、労働運動の一時的退廃をうみだすという帝国主義の傾向が、イギリスでは、一九世紀末および二〇世紀初めよりもはるか以前にあらわれた、ということである。こうなったのは、帝国主義の二つの大きな特徴――膨大な植民地領有と世界市場における独占的地位――が、イギリスでは、すでに一九世紀のなかば以来存在していたからである」(岩p.173/国p.138-9)。

ここに始まる第三段切り末尾部分の叙述は、本論を終えた後の「附記」ではなく、小冊子『帝国主義論』のおヘソのひとつともいうべき重要な内容であるにちがいありません。第二インターナショナル主流、特に最大の組織力をもつドイツ社民党の「戦争協力」という事態を引き起こした原因を社会構造の中にたどって、かくのごとく前時代のイギリスにさかのぼり、その「世界独占」が打ち破られて「列強による世界分割」へと移行した当代の世界の現実態の意味解明へとレーニンは向かいます。

けれどもまた、この部分に「日和見主義派=右派」に対する「革命派=左派」の自己規定論拠と看做して事足れりとしてきた従来の読み方を踏襲するわけにはいかぬことも事実でございましょう。そうした「党派性」イデオロギーそのものがレーニン「神格化」の心理的基礎でもあれば結果でもあったわけですから。ソ連「社会主義」の瓦解という歴史の断絶を経た今、わたしたちはそのような党派的心情から否応なく自らを区画するほかない地点に立たされております。死んだ教条を墨守する伝統主義者だけでなく、残党左翼のあいだに蔓延する「反レーニン主義」「脱レーニン主義」の諸傾向もまた、この問題の困難をやり過ごしたい心性の一形態にすぎぬこと、ジジェクの指摘するとおりでございましょう。

本文を読み進めるに先立って、ひとつ問題を吊る下げておきますと、レーニンが指弾してやまぬ「日和見主義」というのは、労働運動のなかに現れた傾向でしょうか、それとも社会主義思想に固有の傾向なのでしょうか。そして、レーニンがくり返し強調する“労働運動のふたつの潮流”の「労働運動」とは、実体的には何を指しているのでしょうか。ここで、政治思潮としての「社会主義」と社会運動としての「労働運動」とを区別してかかる“構え”が、読者であるわたしたちに問われていると思います。共産主義左翼のなかでは、かつての「社民主要打撃論」以後この区別と連関があまりにも粗略に扱われすぎてきたのではないかというのが、かねてよりのわたしの問題関心でございます。このような「問題」そのものが理解不能な“粗略派”、今なお少なくないこととは思いますが(笑)。

そしてもうひとつ、テキスト解読の基本テーマとして、第1〜6章を総括した第7章で与えられた「帝国主義とは資本主義の独占段階である」という、純経済的概念に立脚した帝国主義の全体的な性格についての第一の根本規定に対して(ないしそれに立脚して)、帝国主義の全体的な性格についての第二の根本規定はいかなるものかを、本章を通じて鮮明に捉えねばなりません。

以上をマクラに、以下の論述展開を追ってまいりましょう。
 

【第8章】8 第三段切り(3)「寄生性」説補足

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 6月24日(金)02時03分6秒
編集済
  ホブスンの記述に拠りつつ「寄生性」の概念を提出したレーニンは、それを次には何人かのドイツ人の記述によって補足しております。

その第一は、日和見主義者ゲルハルト・ヒルデブラント。この人は「かつて帝国主義を擁護したために党から除名された」(岩p.169/国p.135)とのことですから、そうとうのものだったのでしょうか。著書名は示されながら具体的な引用はございませんが、帝国主義的共同行動を目的とする「西ヨーロッパ合衆国」を唱えて、「見事にホブスンの説をおぎなっている」(同)と紹介されております。

続いては、すでにわたしたちにもおなじみのシュルツェ=ゲーヴァニッツ。その著書『イギリス帝国主義』からレーニンは、世紀交替点におけるイギリスで金利生活者が増大する一方、生産人口の比率が低下しているさまを表に示します(岩p.171/国p.137)。“ブルジョア的研究家”と呼ぶこの人の研究業績をレーニンは大いに活用していること、先行章で繰り返しみたところですが、ここでは彼がイギリス労働者階級を観察して労働者の「上層」と「本来のプロレタリア的下層」とを系統的に区別していること、この下層労働者が政治的権利(選挙権)についても経済的権利(失業対策)においても政策的対象から外されているとの観測を紹介した上で、彼らに「考慮をはらっていない」のはなにも「ブルジョア政治屋」だけでなく“「社会主義的」日和見主義者たち”もまた同様であることをつけ加えております。

こうした現象は「金利生活者国家」の特質であり、それが植民地からの収奪に支えられているとのレーニンの観測は先にもみたとおりですが、それと関連して移民労働者問題に言及しているところは、短い記述ながら無視できません。

「右に述べられている一群の現象と関連する帝国主義の諸特徴に属するものとして、帝国主義諸国からの移出民の現象と、これらの諸国への、労賃のより安い、おくれた国々からの移入民(労働者の流入と一般人の移住)の増大とがある」(岩p.169/国p.135)。

ここでもまずホブスンに拠って「イギリスからの移出民は1884年以来減少している」ことを指摘し、後発国ドイツにおいても移出民の数が1880年代にピークをつけた後減少に転じ、替わって周辺国からの移入民が増加していること、フランスでは「鉱山業の労働者は『大部分』外国人」であること、アメリカ合衆国ではヨーロッパの貧困国からの移住民が低賃金層を形成していることを、それぞれ統計と文献資料によって指摘したうえで、「帝国主義は、労働者のあいだでも、特権を持つ部類を遊離させ、これをプロレタリアートの広範な大衆から引きはなす、という傾向をもっている」(岩p.172-3/国p.138)と総括しております。

今日でいう「移民労働者」問題ですけど、この部分の記述をみてすぐ気付くのは、移住民の出身地がポーランド、イタリア、スペイン、東ヨーロッパ、南ヨーロッパなど、白人地域に限られていることですね。植民地地域からの移住はこの時期まだ大きな問題になっていなかったこと、現代との差を感じます。それにしても、かつてこの場で「移民」問題を少し議論したとき、こうした“労働力輸入”問題は視野に入っておらず、もっぱらヨーロッパ諸国から外への移出民を話題にしておりました。上のホブスンの記述は、第一篇第3章「人口の捌け口としての帝国主義」にみえるものですが、ここでホブスンは、国内の「人口過剰」→「移民促進」という帝国主義宣伝が虚偽のものであることを統計に基づいて論証・反駁しております。一年半前のわたしたちの議論も自己批判的に振り返ってみるべきところかと思います。

 http://homepage2.nifty.com/onibara/log/direct_invest.html

# ヒルファディング・メモが尻切れトンボで恥ずかしい(^^)ヾ
 
お得なプロバイダーとくとくBB

【第8章】7 第三段切り(2)ホブスンの「寄生性」説

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 6月21日(火)22時19分57秒
編集済
  レーニンは、「証人」たるホブスンの『帝国主義論』のうち、まず第一篇「帝国主義の経済学」の最終章(第7章)に位置する「帝国主義の財政」から「労働者の特殊の部類」への影響という叙述を、また第二篇「帝国主義の政治学」の第2章「帝国主義の科学的弁護」から「経済的寄生性の習慣」と「その下層階級を買収して黙従させる」との記述を、それぞれ短く引用して(岩p.166/国p.133)、本章が主題とする“労働運動における二つの基本的な潮流”の基礎を述べてまいります。

# なお、上のふたつの引用のうち第二のものは、岩波・国民両文庫の引用文は同一ですが、手許にある矢内原訳ホブスン『帝国主義論』のものとは文言が少しちがっております。上ではあえて矢内原訳で示しました。

実は、ここでのホブスンの引用の仕方には問題なしとしない、ありていに申せばやや恣意的な感を否めぬように思うのですね。ホブスンの関心は主として「帝国主義」の主体、つまりその時代のイギリス資本主義の支配階級の姿とそのビヘイビアに向けられており、「労働者の特殊の部類」の「買収」は部分ないし傍系のテーマにすぎません。引用者レーニンが自著の主題に触れるところをつまみだすのはまあ関心の問題ですからよろしいとしても、結果、帝国主義における支配階級の具体像がボケてしまうのでは困ります。実際それは、レーニン『帝国主義論』を「経済学」の本として読んで怪しまなかった後代の「マルクス主義者」たちに、明らかに悪い影響(というか傾向)を産み出したのではないかとわたし深く疑っております。でも今は、そのことは措いておいて、まずはテキストの叙述をトレースしてまいりましょう。

「この著者〔=ホブスン〕の見解によれば、旧来の諸帝国のちからをよわめたものは、つぎの二種類の事情であった。すなわち、(一)「経済的寄生性」と(二)従属民族をもってする軍隊の編成、である」(岩p.166/国p.133)。この前者について、有名な「買収」問題を上のホブスンの引用をもって示したうえでレーニンは、「このような買収が経済的に可能となるためには、その買収がどのような形態でおこなわれようとも、独占的な高利潤が必要である」という、ホブスンの記述にない点を「みずからの立場から」つけ加えております。「労働者の特殊の部類」すなわち労働者階級上層部の「買収」の根拠付けは要するにこれだけで、以下、「従属民族をもってする軍隊の編成」という第二の事情に関するホブスンの記述がコメントをはさんで長々と引用されるのですが、いささかバランスを失したようにみえますね。

しかし、レーニンのブツ切りのような引用が語り出すのは、またしても「寄生」についてでございます。「主要な動脈的工業はすべて姿を消してしまい、主食品と半製品はアジアとアフリカから貢物として流れ込む」、そのような「西欧諸国家」の姿。ここで「寄生」は国内的な現象ではなく国境を超えた収奪の構造として描き出されております。ここでわたしたちは、1920年の「フランス語版及びドイツ語版への序文」にある、「ひとにぎりの『先進』諸国による植民地的抑圧と金融的絞殺とのための世界体制」(岩p.18/国p.12)という文言を思い出すべきところでございましょう。

最後にホブスン書の「結論」章から、「一層大きい西欧諸国家の同盟、世界文明の目的を促進するどころか、かえって西洋の寄生という恐るべき危険を導入するおそれある諸大国のヨーロッパ連邦、その上層階級がアジヤおよびアフリカから莫大な貢物を引き出し、それを以って無気力な多数の従者を扶養する先進工業諸国の集団」の可能性という予見を引き、ここに「現在の帝国主義的情勢のもとでの『ヨーロッパ合衆国』の意義がただしく評価されている」(岩p.169/国p.135)としたうえで、「一般的には帝国主義にたいして、特殊的には日和見主義にたいして、反抗しつつある勢力のあること」を(自由主義者ホブスンの目にははいらないものとして)註記しております。ここは、以前にここでもご紹介した1915年8月の論文「ヨーロッパ合衆国のスローガンについて」(ライブラリ所収)が、ぜひとも参照されるべきところでございましょう。

「寄生性」についてのホブスン・レーニンの理解は、国内の階層分化や国別の文化変容という一国主義を完全に超えた枠組みにあることを確認しておきたく思います。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

それでおます(^^;

 投稿者:臨夏  投稿日:2005年 6月20日(月)23時28分21秒
  >そうそう、あなたにとっての「資本主義」の件、まだ[談話室]にぶらさがっておりますのでお忘れなくね(^^)。

ここ、着想は得たんで、忙しいの過ぎたら、書くつもりでいます。
石堂さんに、人民日報が誣告した記事の訳は、ときどき思い出してはやってるんですが、、
そんなに大量でもないのに(^^;
つい、学校のレポートを優先させたりしております。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

>臨夏さま

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 6月19日(日)22時48分29秒
編集済
  「アナール派」のこと、ご教示ありがとうございました。「実存主義」といい「レギュラシオン理論」といい、思想の新しい波というのはどうもフランス〜ラテン系始まりが多いようですね。

>ブローデルこそ、資本主義を、マルクスと違う視角からみるなかでの最重要人物です。

この人のこともお名前と『地中海』の書名しか存じませんし、網野善彦さんも『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』をだいぶ前に一読しただけ。ああ、無学バレバレだわ(苦笑)。わたしも少し勉強しなくてはなりませんね。

そうそう、あなたにとっての「資本主義」の件、まだ[談話室]にぶらさがっておりますのでお忘れなくね(^^)。

>鬼薔薇さなんは、みなに、ダイレクトメール出しました?

ネットでのお付き合いにメールを使うのは(公開の場でやり取りすべきことを「裏」でみたいな感じになりがちなので)個人的には好みませんが、席亭といたしましては“管理責任”といったものもございますことから、第8章についてはご担当のジュニアさんにご都合をうかがいました。でもご返事いただけないの。で、「行方不明」と書いたのですけど、わたし、嫌われたのかな(^^;

ま、ネットでの嫌われ者は「4トロ2次会」以来慣れっこですし、メールはやりとりの事実だけでも「個人情報」に属しますから、この件これまで。「鉄の規律」の党組織でもなし、どうせたかが読書会、“来る者拒まず、去る者追わず”でまいりましょう(笑)。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

皆の衆どこいった(笑

 投稿者:臨夏  投稿日:2005年 6月19日(日)12時46分55秒
  みんな、散ってまいましたねえ(^^;

ジュニアさん、行方不明なんですか?
こないだ、「鬼薔薇研始まったぞ」とメールしたらご返事来ましたが。
蘇丹・加里耶夫さんも、掲示板が何ヶ月もとまってますね。
チェチェンあたりに行ってはるんでは?(謎

鬼薔薇さなんは、みなに、ダイレクトメール出しました?
 

これは失礼しました。

 投稿者:臨夏  投稿日:2005年 6月19日(日)12時42分19秒
編集済
  >「アナール派」については存じません。よろしければその「意味」のエッセンスなどご紹介くださいませんか?

自分が歴史学プロパーなもので、「マルクス派」が全員知っているわけではないこと、つい失念します。
アナール派は、マルクスどころかその反対ですね。
もともとは、20世紀の第一次大戦ごろと思うのですが、フランスでマルコ・ブロックとルシアン・フェーブルが
組んで、『社会経済史年報』という雑誌を作ったのが始まりです。
「年報」は、英語でジャーナルですが、フランス語ではアナールらしく、学派の名前はここからです。

ヨーロッパ歴史学の保守本流のランケ的政治中心史観に反対し、
民衆の日常の生活、身の廻りのものに注目していこう、みたいな評価でええでしょうか、
一般に「社会史」と言われているものですね。

でも、ものの本を読んでも、「マルクス派」との関係が判然としないのです。
「政治史観」に反対し、「社会経済」なら、マルクスと相和するみたいな気もするのですが、
この学派のもうひとつの、(もしくは主なる)テキさんは、マルクス主義史観ではないでしょうか。
このへん、私見なんですが、反マルクスを声に出していわんのは、欧州流のエレガントな粋り方なんでしょうかしら(笑

この学派は、第何世代かわすれましたが、重要なんに、フェルナン・ブローデルがいますね。
ブローデルこそ、資本主義を、マルクスと違う視角からみるなかでの最重要人物です。
近代を、「資本主義時代」と言わんと、「資本制も近代の重要な要素」というスタンスのようですよ。
(ps,時間経ってから思いつきましたが、これは、資本制を下部構造として看ない、、の云いですかね??)

とか、ちゃんと勉強してないんで、ブロックの『歴史のための弁明』、フェーブルの『ラブレー論』、
ブローデルの伝記や講演記録なんか、まず読むつもりです。
ブロックの主著『封建時代』もおもしろそうやし、ブローデルは、『地中海』ですね。最近、台湾でも訳がでました。

日本では、鶴見良行さんが、『ナマコの眼』の延長で、『地中海』のむこうを張って、
学生、研究者集めた一大共同研究で『瀬戸内海』を書き始めよう!としてたところ、鶴見先生急逝してしもて、
その弟子筋の学生がえらい落胆してたん、学生のころの思いでです。

網野善彦さんも、社会史のなかにはいるでしょう。
(『僕の叔父さん 網野善彦』中沢新一、集英社新書は見はりました?いまはわたしの座右の書で、
いつももちあるいて、読み直してます)
岩波新書の三巻本も、『日本社会の歴史』ですし。御当人、「ちょっと政治中心にしてもうた」みたいに
自己批判してはりますが(いま、読んでるんですが、中巻が消えました。昨晩夜食食うた食堂かなあ?)

ただ、「フランスには実はアナール派などいなくて、アナール派は、日本人の幻想や」とかいう怪情報も耳にします。

ながなが書きました(^^;
「従属理論」は、そうです、アミン、フランクです。

素人の妄想かも知れませんが、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、または従属理論、なんかの、
「パターン的思考」は、とりあげようによったら、おもろい工具になるんではないでしょうか。
いや、弁証法=価値形態論を知らぬからいえるのかな。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

Re:ただいま戻りました。>臨夏 さま

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 6月19日(日)11時36分9秒
  >なんのコメントもないよりはましか、と思いついたことなど書きます。

ありがとう(^^)。“孤独を求めて連帯を怖れず”などと粋がってみても、観客のいない競技場をたった一人で走っている気分はやはり寂しいもので(笑)。わたしがサボっていたのが悪いのですけど、ジュニアさんは行方不明だし――追いかけて捕まえたらキツ〜い査問しちゃいましょう(笑)。次章のレポートをお願いしております蘇丹・加里耶夫さんはきっと戻ってきていただけると信じておりますけど。

>以前に通読したときには、「帝国主義経済論」からみれば、亜流で脇道の部分、と舐めていたのですが、ここにこそ、レーニンの「社会的観点」が伺われるようです。
(「政治的観点」ともいえますが、政治史と、社会史(アナール派の意味での)の関係とか、難しいですね)

ここに語りだされる「寄生性と腐朽」こそ、「脇道」どころか高度資本主義に対する全的批判の基礎ではないかと、金融グローバリズムの今日いよいよその感を深くするわたしでございます。ただ悲しいことに無学なもので、「アナール派」については存じません。よろしければその「意味」のエッセンスなどご紹介くださいませんか?

それから、「従属理論」とは何を念頭に置かれてのことかしら。S・アミンやG・フランクに代表されたあの説でしょうか?

>内容はといえば、これぞ、わたしがエッセイ「帝国主義とわたし」(鬼薔薇談話室板で、以前に少し、ラフスケッチを書いた)において書きたかったテーマとからむようです。

予告のエッセイ、期待しております。
 

ただいま戻りました。

 投稿者:臨夏  投稿日:2005年 6月18日(土)11時53分57秒
編集済
  おはようございます、臨夏です。
怠惰につき、読書会参加に遅れました。申しわけありませんです。
昨日、ようやく、レーニン『帝国主義|』8章読み直し、鬼薔薇さんの努力の書き込みも読み終えました。

現在、理論的な提言ができないようにアタマも錆び付いているようですが、
なんのコメントもないよりはましか、と思いついたことなど書きます。

まず、帝論8章は、おもしろいですね!
以前に通読したときには、「帝国主義経済論」からみれば、亜流で脇道の部分、と舐めていたのですが、
ここにこそ、レーニンの「社会的観点」が伺われるようです。
(「政治的観点」ともいえますが、政治史と、社会史(アナール派の意味での)の関係とか、難しいですね)

内容はといえば、これぞ、わたしがエッセイ「帝国主義とわたし」(鬼薔薇談話室板で、以前に少し、ラフスケッチを書いた)において書きたかったテーマとからむようです。

高校生時代のわたしは、「共産主義者」を名乗っておりましたが、理論的指導者もなく、
というより、同志が決定的に不足しており、ずいぶん不毛な主義的環境でした。
いまにして思えば、それこそ、『帝国主義』を読んだらよかった、思います。

当時のわたしは、ゲバルトの実践をするわけもなく、
個人のあたまの中で、ただいろいろ考えてました。
いまにして思えば、それは、「従属理論」にも似通ったものであったのではないか、思います。

そのわたしの「考え」は、このレーニンの第8章とも、よく符牒が会うのです。
わたしが考えたことは、「現代は、国際的国家関係のなかに、ブルジョアジーとプロレタリアートが反映している」。
「日本国は、帝国主義本国であるが、この日本国の労働者は、日帝の利益のわけまえに預かって、
第三世界(「植民地」の代わりに措定。自分としては、「経済的植民地」のつもりでした。
当時、右翼的高校生が、「日本は戦後、外国を侵略してない」との言葉を、心から嘲笑したものです。
「経済的に搾取=侵略してるやんけ、」と。)
を、ブルジョアジーと共に搾取している」、と。

「この、第三世界から遠い、という位置を利用して、社会には情報封鎖を行い、
日本のプロレタリアートを、第三世界のそれと結合しているのを妨げている。」
「日本のプロレタリアートは、日帝の防波堤となっている」などとも。

こういう事態を、レーニンは、労働貴族への買収、と捉えていたことを知ったのは、それから何年もなったあとでのことでした。

さて、こういう上記の考えを、わたしは新田滋さんの『段階論の研究』を読んで、
「どうやらこれは、『従属理論』みたいなものらしい(高校当時、「新植民地主義」ということばは、小田実という、なんかええかげんなおっさんから聞き及んでいました。小田さん、本多さんは、尊敬もしているのですが、
若者に体系を示さへんのが、限界や、思たりもしました)」、と考えました。

しかし、新田さんによれば、「従属理論は、『荒唐無稽』」らしく、
ここで、「わたしの何年間かはなんやったのか」とがっかりすると同時に、義務から解放された、安心感を味わったりもしたものです。

しかし、いまレーニンの第8章とかをみたり、読んではおりませんが、ジジェクのその本のこととかを考えると、
案外、レーニンやら従属理論やらは、『当たっている』ようにも見えます。
時間的、経済的変化は、単線的ですが、空間的、政治的変化は、繰り返しをするから、
それがひとめぐりして同じ空間的位置に帰ってきたのでしょうか?

これらのことは、以降、ゆっくり本を読んで考えたいと思っています。
わたしは、「グローバリゼーション」と「帝国主義」の区別もつかぬ、素人であり、
いまだ、自分の空間的位置を、21世紀社会のなかで、確認できてはおりませんが、
めくらが象を撫でるような感じで、調べて行きたいです。
 

ジジェクのレーニン論・再

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 6月18日(土)09時49分9秒
  TAMO2さんのご紹介を得て、6月 5日(日)発言で短く「期待」を記しましたが、このたび読み始め、最初の感想を[談話室]のほうに書き込みました。  

【第8章】6 第三段切り(1):ホブスン「証言」とレーニンの「唯物論」

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 6月17日(金)23時55分11秒
編集済
  本章のハイライトというべき第三段切りは、次のように書き出されております。

「金利生活者国家は寄生的な腐朽しつつある資本主義の国家であり、そしてこの事情は、一般的にはそれらの国のあらゆる社会政治的諸条件のうえに、特殊的には労働運動における二つの基本的な潮流のうえに、反映せずにはおかない」(岩p.165/国p.132)。

まず結論的な命題をゴロリと転がしてみせ、それからおもむろにその説明にかかるといういつものレーニン流叙述法ですね。このテーゼの内容を「できるだけ明瞭にしめすため」の「証人」として、ホブスンが呼び出される段でございます。

なぜホブスンか。ひとつには彼が「社会自由主義者」であって、「正統派マルクス主義」(ここではレーニン自身の立場でしょう)に“えこひいき”するはずもないから、彼の言説は党派的に客観性をもつものと主張できること、そして第二に――内容的にはこのほうが重要ですけど――「イギリス人であって、植民地にも、金融資本にも、また帝国主義的経験にももっとも富んでいる国の事情に精通している」こと、このふたつがレーニンをしてホブスンを、“だれよりも「信頼できる」”と言わしめた理由となります。レーニンにとってマルクス主義者ヒルファディングがすぐれて「理論の人」であったとすれば、ホブスンは秀でた「事実観察の人」として貴重だったことでしょう。その著作を「注意を払って利用」するにあたいするものと評した(序言)ゆえんと思われます。こうしたレーニンの姿勢には、「現実」に対する開かれた関心ぶりが強く感じられ、わたしとても好きでございます(^^)。

ゲーテ『ファウスト』で悪魔メフィストフェレスが語る“理論は灰色、現実は緑”という科白を好んで引用したように、この「現実」に対する関心の強さ、その開かれ方――それを「唯物論」というなら唯物論――は、レーニンの思想的な構えを当時の左翼知識人のそれから区別するひとつの要素だったのではないでしょうか。たとえば、第一次ロシア革命の「血の日曜日」デモの先頭に立ったガポン僧正が亡命してきたときの対応――

「ガポンは、ロシアで進行している革命の生きた分身であり、彼を信頼していた労働者大衆に密接に結びついていた人物であった。だからこそイリイッチは、この会見に興奮していたのである。/ある同志が最近このことを憤慨していた。どうしてヴラジミール・イリイッチがガポンなんかと交渉をもったんだろう! /もちろん、前もって僧侶なんか何の役にも立たないときめて、ガポンのそばを素通りすることはできたであろう。例えば、プレハノフのごときはそうしたので、ガポンにたいして極端に冷淡だった。/しかし、イリイッチの力は、彼にとって革命が生きたものであり、革命を直視し、革命の多面性を把握することができ、大衆が欲していることを知り、かつ理解していた点にあった。ところが、大衆を知るには、大衆と接触する以外に方法はなかった。イリイッチは、ガポンがどうして大衆に影響をあたえうることができたかということに興味をもったのである」(クルプスカヤ『レーニンの想い出』、内海周平訳、青木文庫・上、p.140-41。/は元文改行)。

以下、ホブスン『帝国主義論』からの引用でこの段切りの(したがってまた本章全体の)主題が奏でられ、それをさらに数名のドイツ人論客の言説で補足しつつ自らのコメントを加えたあと、(かつて蘇丹・加里耶夫さんも注目された)海外移民の問題に短く言及したところで第三段切り前半となります。続く後半で、労働運動における日和見主義の潮流が「先進国」イギリスで他に先行して生まれていたことを、在りし日のマルクス・エンゲルスの観察をもって示し、当代の「二つの基本的な潮流」の歴史構造を絵解きして本章の幕となります。

この第三段切りの大まかな文脈を上のように押さえておいて、内容解読へ進みましょう。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

事務連絡

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 6月14日(火)22時19分8秒
  ライブラリの「テーマ別ログ」に、「ユダヤ人ブントと極東共和国」を追加いたしました。
レーニン『帝国主義論』を解読する上で「民族」問題が重要であることは言を俟ちませんが、「自決権」を中心とする中期レーニンの「民族」論はあくまで「帝国主義論」の系として読まれるべきであろうという問題関心を、蘇丹・加里耶夫さんと語り合った内容でございます。

次の第九章ご担当となっている蘇丹・加里耶夫さんお呼び出しのおまじないといった面も否定いたしません。かつて第四章では途中から行方不明になり、お後をわたしが代打にたった前歴もございますことから、早めにコールをかけておこうとの下心、どうせ見え透いておりましょうけど(笑)。

この中で蘇丹・加里耶夫さんは第八章にも触れ、ちらりと言及される「移民労働者」問題はもっと議論されてよいとのご関心を披露されております。これにつきましては臨夏さん、高望みさんからもご発言を得て別に主題化され、「テーマ別ログ」のひとつとして別掲しております。

代打は本章だけで打ち止めとしたい(^^;鬼薔薇
 

【第8章】5 インテルメッツォ:第2段切りより論点いくつか

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 6月12日(日)23時28分57秒
  「寄生性」に関するホブスンの刺激的な観察は、地球上の各地に植民地を持ち、ユニオン・ジャックが世界の海を制覇した「日の没することなき大英帝国」に生を享けたればこそのものに思われます。レーニンはマルクス主義者ヒルファディングが「この点で一歩後退している」ことを残念がっておりますが(本章冒頭)、むしろドイツ文化圏のヒルファディングに対してイギリス人・ホブスンが一歩も二歩も前を行っていたと考えるべきではないでしょうか。それはイギリス資本主義の「先進性」であり、マルクスの『資本論』を押し上げたものであり、レーニン自身が亡命期に呼吸した雰囲気でもあったと想像されます。この「先進性」を胸深く呼吸したもうひとりの大陸社会主義者に、かのベルンシュタインがおりました。レーニンを「左」に・ベルンシュタインを「右」においたスペクトルで当時の社会主義者のイデオロギー分布をみる一面性を、わたしたちはすでに批判的に主題化したところでございます。
 http://homepage2.nifty.com/onibara/lib2/lenin_and_SPD.html
 http://homepage2.nifty.com/onibara/lib2/kameshima.html

本章第二段切りで重要なことは、資本制における「実体経済」と「金融」との二重性、その後者の独自の意義の一端が、「金利生活者」という不労所得階層の存在をもって突き出されていることにございましょう。そこからいくつか考えるべき問題が浮上いたします。

先にみたようにレーニンは、「どのような企業にも〔すなわち生産活動一般に〕まったく参加していない」この存在を「階級、もっと正確にいえば階層」と呼び換えておりましたが、ここをどう理解するかがひとつの問題となります。この「階層」は、「ブルジョアジー」対「プロレタリアート」という階級概念とどのように関連し、また区別されるのか、ですね。その際、この「金利生活者」とは、単なる「寄生者」、言い換えれば社会のなかの従属的な存在にすぎぬのか、「投機家」という資本制経済の脇役なのか、あるいはそれ以上の存在なのかを念頭に置くことが求められましょう。ここは、第3章の解読でいささか議論を残した観のある、あの「金融寡頭制」の理解と関わるはずでございます。

もうひとつ、ここで考えるべきテーマに「国家」がございます。レーニンは第二段切りの終わりにシュルツェ=ゲーヴェアニッツ、ザルトリウス・フォン・ワルスタースハウゼン、シルダー、A・ランスブルグといったエコノミストたちの著書や論文から、「金利生活者国家」とか「高利貸国家」とかいう概念が広く一般に使用されている現実を示し、「世界はひとにぎりの高利貸国家とおどろくほど多数の債務者国家とに分裂した」とのテーゼの傍証としているのですが、「金利生活者」という社会層の広がりと、こうした国民国家の性格付けとはどう連関するのでしょうか。この「金利生活者」層が国家の政策決定権を握ったということでしょうか、それともこれは政治的国家のことではなく、国民経済の性格づけなのでしょうか。だとするとこれは、先に「植民地帝国主義」イギリスに対比してフランスに与えた「高利貸帝国主義」という特徴づけとはどう関連するのでしょう。

以上、未整理のまま羅列しました論点の検討には、本章を読み上げた上で立ち戻りたく思いますが、感想めいたことを書き留めておくなら、ホブスンがジャーナリスティックな筆致のうちに区別と連関を述べた問題を、レーニンはやや強引に政治国家の次元へ引き付けているきらいなしといたしません。それはなにより目の前で繰り広げられている戦争の意味を解明する、言い換えれば「帝国主義戦争の不可避性」を論証するという政治的課題意識に規定されたものでございましょう。理論家ならここに、理論が政治的にゆがめられたという批判を語るところかもわかりませんが、わたしなどの関心からいたしますと、そもそもこの『帝国主義論』という小冊子が経済理論書ではなく、「経済分析」を仮装したすぐれて政治的な著作であることの証左と受け止めるところでございます。

とりあえず以上の論点を並べたところで第二段切りを終え、本章のハイライトというべき第三段切りへ進むことといたしましょう。
 
お得なプロバイダーとくとくBB

【第8章】4 第2段切り(3)ホブスン「帝国主義の経済的寄生者」

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 6月11日(土)01時06分59秒
編集済
  レーニンによるホブスンからの引用は、『帝国主義』第一篇「帝国主義の経済学」第四章の「附録」部分(矢内原訳、岩波文庫・上、p.114-16)からのもので、当該章全体は上の表題を冠されており、これがレーニンの「寄生性」への熱い注目を誘ったところと推測されます。

この「附録」について少し補足しておきますと、本文部分では主として「統計家ギッフェン」ことR・ギッフェン卿による推計を引用しているホブスンは、ここでギッフェンの推計方法を「危なかしい」ものと保留をつけ、その対外投資額推計の含むと思われる過小評価を補正すべく、「或る極めて有能な経済学者が『経済学辞典』のためになした最も周到な調査」として、「マルホール氏」による見積もりの数値を紹介しているのですね。それが、引用された「1893年において海外に投資されたイギリス資本は、連合王国(イギリス本国)の全体の富の約15パーセント」という説の根拠データでございます(訳文は矢内原訳)。レーニンが利用したホブソン書は初版1902年か第二版1905年でしょうから、これ以後の数値はございません。したがって、「この資本が、1915年までに、およそ二倍半に増加した」(岩p.162-3/国p.130)というテキストの記述は、別の資料からレーニン自身が補ったテータにもとづくものということになります(テキストはその典拠を示しておりませんが)。

このホブスン『帝国主義』第四章のおヘソは、対外投資から得られる利子収入の大きさへの注目にございます。すなわち、

「前章において私は、対外貿易から利潤として得られるものは〔金額においていかに巨額であろうと〕我が国民所得中いかに小さい比率を占めるかを指摘した。新帝国主義の莫大な費用と危険が、対外貿易の増加という形におけるそんな小さい成果を目的として実行されたとは、殊に獲得された新市場の大きさと性質を考慮に入れる時、理解出来ないことのように思われる。しかしながら外国投資の統計は、我が国の政策を支配する経済的勢力を明るみに出した(矢内原訳・上、p.104、〔〕は引用者、表記は新漢字、以下同)。

この「経済的勢力」が「投資者」にほかなりません。ホブスンはこの「外国投資」に、「帝国主義の経済学における最も重要な要素」を見出し、統計的推計値の不正確さを超えて明らかな「二つの事実」を指摘いたします。「第一に、対外投資に対する利子として得られる所得が、普通の輸出入貿易に対する利潤として得られる所得を遥かに凌駕したこと。第二に、我が外国及び植民地貿易並びにおそらくそれからの所得が緩慢に増大したに過ぎないのに反して、外国投資からの所得を表す我が輸入価額の部分が甚だ急速に増大したこと」(同)。それは、イギリス社会の質を規定いたします。すなわち、「イギリスの近代対外政策は、主として有利な投資市場を目指しての闘争であったといって過言でない。年毎にイギリスは、一層広範な範囲にわたり海外からの貢納に頼って生活する国民になりつつあった」(同)。

かくしてレーニンは書くのですね。「金利生活者の収入が、世界最大の『貿易』国の外国貿易からの収入を五倍もうわまわっているのだ! これが、帝国主義と帝国主義的寄生性の本質である。/だから、『金利生活者国家』とか高利貸国家とかいう概念が、帝国主義にかんする経済学的諸文献のなかで一般に使用されるようになっている。世界はひとにぎりの高利貸国家とおどろくほど多数の債務者国家とに分裂した」(岩p.163-4/国p.130-31)。

今この叙述を読み下すわたしたちは、眼前の現代資本主義の諸相をこの点に照らして検証すべきところでございましょう。少なくとも、ここに活写された「金利生活者」の“階級的”意味を捉え返すことなく、「資本家」対「労働者」という原理規定と現実とを単純に重ね合わせるような粗雑な思考のうちににとどまるかぎり、「帝国主義」の現実との対峙関係を主体化するなど幻想にすぎぬことを深く肝に銘じて、以下の叙述に向き合っていかねばと存じます。
 

【第8章】3 第2段切り(2)「金利生活者」――寄生性の人格化

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 6月 9日(木)00時09分28秒
  さて、第二段切り後半へまいりましょう。

「帝国主義とは、すでにみたように、ある少数の国々における、有価証券で1000億ないし1500億フランにも達する貨幣資本の膨大な蓄積である」(岩p.162/国p.129)。

“すでにみたように”とは、何処のことだったか、だいぶ時間も経ったこととて、もういちど前のほうをめくり返し再確認しておくのがよろしいですね。第3章「金融資本と金融寡頭制」に「1910年の有価証券総額」と題された統計表(岩p.100/国p.79〔第10表〕)がございました。この表を示してレーニンは、「それぞれおよそ1000億から1500億フランの有価証券を所有している四つのもっとも富裕な資本主義国」(すなわち伝統ある英・仏と新興の独・米)が、「全世界の金融資本のほとんど80%を所有している」というその抜きん出た地位に注目を促しております。本章のここの叙述は、これを直接に受けているものと解されます。

本文に戻りましょう。上の「貨幣資本の膨大な蓄積」につづいてテキストの叙述は、「その結果、金利生活者、すなわち『利札切り』で生活している人々、どのような企業にもまったく参加していない人々、遊惰をもってその職業としている人々の階級が、もっと正確にいえば、こういう人々の階層が、異常に増加するようになる」と続きます。これまた第3章の叙述を直接に受けたものであること、次のところから明らかでございましょう。

「資本の所有と資本の生産への投下との分離、貨幣資本と産業資本あるいは生産資本との分離、貨幣資本からの収益によってのみ生活している金利生活者と、企業家および資本の運用に直接たずさわっているすべての人々との分離――これらは資本主義一般に固有のものである。帝国主義とは、あるいは金融資本の支配とは、このような分離が巨大な規模に達している資本主義の最高の段階である」(岩p.98/国p.77)。

第3章では、この事実のうちに帝国主義に特殊な支配の様式が観察されました。すなわち、

「他のあらゆる形態の資本にたいする金融資本の優越は、金利生活者と金融寡頭制の支配を意味し、金融上の『力』をもつ少数国家がその他すべての国家にたいして傑出することを意味する」(同)。

ここ第8章では、同じ事実に対して別な角度から光が当てられます。すなわち、

「帝国主義のもっとも本質的な経済的基礎の一つである資本輸出は、金利生活者層の生産からのこの完全な離脱状態をいっそう強め、いくつかの海外の諸国や植民地の労働の搾取によって生活している国全体にたいして、寄生性という刻印をおす」(岩p.162/国p.129-30)。

「寄生性」という帝国主義の基本的な特徴づけが、ここに簡明に示されました。それに関していくつかメモしておきますと、

1.「寄生性」は各国ごとの国内的事象ではなく、世界市場を前提とした概念である、
2.その「寄生性」を体現する「金利生活者」とは、生産から完全に離脱した不生産的社会層である、
3.それは、「ブルジョアジー」対「プロレタリアート」という原理的な「階級」規定とは論理段階を異にした社会的範疇規定である、

この点に対する着目が、往時のマルクス主義者たちの「帝国主義」議論の中でレーニンの小冊子が占める独自の境地のひとつであること、章冒頭の短いパラグラフ(第一段切り)が示したところであり、それが非マルクス主義者ホブスンの叙述から強い示唆を得て獲得された視点であったこと、続くホブスン『帝国主義』からの引用が語っているとおりでございます。
 

【第8章】2 第2段切り(1)「独占」――腐朽への道

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 6月 5日(日)23時36分25秒
  章題は「寄生性と資本主義の腐朽化(副島訳では「資本主義の寄生性と腐朽」)」となっておりますが、ここ第二段落は「腐朽と停滞」の議論から始まります。その根拠が「独占」、第一章の皮切りから始まり第7章での「第一規定」に総括された「独占」なのですね。

「この独占は資本主義的独占である。すなわち、資本主義のなかから発生して、資本主義、商品生産、競争という一般的環境のうちにあり、しかもこの一般的環境との不断の、そして解決の道のない矛盾のうちにある独占である」(岩p.161/国p.128)。

ここでレーニンがわざわざ「資本主義的独占」であることを強調している理由を斟酌しておきましょう。それは第1〜7章の叙述のおさらいにもなりますけど、資本制以前の「その他の独占」から区別されるひとつの理由は、上の引用部分にもうかがえるように、それが自由競争のなかから現れ自由競争と並んで存在する点、まったく経済的な根拠を持って成り立つ範疇であって、統治権力の政治的独占という経済外的範疇とは異なる、いわば資本制の「自己否定」であること、ふたつには、その「自己否定」そのものが将来社会=社会主義を内に胚胎させていること、そのような意味ですぐれて「弁証法的」範疇規定だというところに、当時「哲学」を再履修していたレーニンの思いが込められているのでしょう。わたし、この種の「弁証法」とかレーニンの「哲学」とかにはあまり関心が及びません(苦笑)。ただ、“この一般的環境との不断の、そして解決の道のない矛盾”の解決として社会主義が思い描かれていること、その根拠が例の「社会化」の中に想定されていることは、抑えておいてよろしいところかと存じます。

さて、資本主義的独占といえども独占である以上、「他のすべての独占と同様に、不可避的に停滞と腐朽化への傾向をうみだす」(岩p.161/国p.129)ことに変わりはありません。「独占価格」を通じて、「技術的進歩にたいする――したがってまたいっさいの他の進歩、前進運動にたいする――刺戟的原因が消滅し、されにまた、技術的進歩を人為的に阻止する経済的可能性があらわれる」(同、引用下線は訳文傍点)こととなります。ここでは、ビン製造の技術革新をドイツのカルテルが阻止した件が例に挙げられております。

ここでの指摘があくまで「経済的可能性」であり「傾向」であることに注意しておきましょう。実際、1930年代の大不況以後、資本制が独占をやめたことはないにもかかわらず空前の技術革新を実現してきたこと、周知のところでございます。レーニンの記述もその「可能性」を否定してはおりません。実際レーニンも、独占化傾向を急速に強める当時のドイツ資本主義が同時に鉄鋼において、化学において、そして電気において、技術革新の先端を担っていたのを目の当たりにしながらこの小冊子を書いておりました。なかんづく当時の「戦争」が、すなわち国家間規模での競争が、そうした技術革新を強力に先導していたこと(毒ガス、飛行機、その他)、「帝国主義戦争」下での著者の最重大関心であったはずでございます。それを認識しつつ、「だが他方で、独占に固有な停滞と腐朽化への傾向もまた作用をつづけて、個々の産業部門や個々の国で、ある一定期間、勝を制する」(岩p.162/国p.129)ことを、著者は強調いたします。

この産業独占と並んで、ほんの1行余りほどですが、「植民地領有の独占」がここで触れられます。でもそのことの意義は、ここを読み下しただけではまだ明らかではありませんね。この短い記述は、むしろ後段への布石と考えておくべきなのでしょう。

以上が第二段切りの前半。「寄生性」はまだ射程外に置かれております。
 

ジジェクのレーニン論

 投稿者:鬼薔薇  投稿日:2005年 6月 5日(日)22時04分27秒
  >「迫り来る革命 レーニンを繰り返す」
スラヴォイ・ジジェク (著), 長原 豊 (翻訳)

わたしも期待しております。
面白ければ、談話室でこの輪読などいたしましょうか。

そういえば明日にはドイツ映画「グッバイ・レーニン!」が上映されるそうですね。
http://theater.nifty.com/db/0000050120/main.jsp

わたしは行けそうにございませんが(^^;
 
お得なプロバイダーとくとくBB

おいらのスキャナーは速いです

 投稿者:TAMO2  投稿日:2005年 6月 5日(日)20時29分1秒
  とはいえ、前後作業を入れると2ページ(見開き1回)1分くらいかと。
でも、考えたらたったこれだけ!という気もします。pdf化はするつもりはないです。
とりあえず、画像ファイルとして保管。

で、こんな本が出ているようです。わくわく。
「迫り来る革命 レーニンを繰り返す」
スラヴォイ・ジジェク (著), 長原 豊 (翻訳)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000236520/qid=1117970888/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-1740385-7562740

 
お得なプロバイダーとくとくBB

以上は、新着順241番目から270番目までの記事です。 5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  |  《前のページ |  次のページ》 
/16 


[PR] アンチエイジング